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                       さかのしたのくも55

                                     2011年6月29日(水)


                           梅雨明け宣言

               走りながら、おそらくきょうあたりは、と予感していたが、その
              通りであった。梅雨が明けた模様と気象台が発表していた。
              はっきりとした文言にない時節の移りかわりの気象台の表しかた
              に慣れてから、何年くらい経つのだろう。
              じっさい熱い一日であった。くわえて湿気が高かった。親切に教
              えてくれる熱中症の予防訓にあずかって、喉が渇く前に給水点で
              水分を充分補給しながら、8キロ走った。そのせいか疲れを感じな
              かった。水分補給し、走りながら、物事に対する人の対象に対する
              いつくしみにある批評眼、言葉遣りに、ひとの確かな年輪をおぼえ、
              随分と啓発された自分を見つながらいつもの走路を走った。
              すがすがしい午前の運動にあった。 人が話されたなかに、二人の
              著名な作家に対する寸評に感心した。別にどちらが好きか、優かと
              いった程度の評ではない。なにげない言葉に、その対比が見事に
              示されていた。 むかし、昔といってもまだ四十一年くらい前の話し
              ですが、まったく私的事由で、ある事柄のために、某所にそれこそ
              恥ずべきことでしたが、匿名で、おさない論文まがいの言葉をつづっ
              たものです。その中で、鴎外についてその歴史観に対しては、組す
              るものではないと、書いたものです。こんなことがらをいまさら記すこ
              とでもないのですが、まだまだ練れない自分であり、しかも自己顕示
              欲の強い男だとおもってもらえれば、すこしは気がおさまります。
              と、いいましたが、組するものでないといった件が、どの本にあったか
              は、いま記憶にありません。渋江抽斎になかったことだけははっきり
              としています。ある人に対する、いわば皇紀歴史観の齟齬にたいして、
              鴎外を介してささやかな論証、反証として、自分の立場、考え方をの
              べただけのことでした。 
               人の記事・評にあずかって、おのれの思いを記すことなど、下司の
              やることかもしれません。でも、どうしても書く衝動から逃れ得ません
              でした。

               
               米国の最高裁が、一種の風俗規制である法律に対して違憲と
              判断を下したとのことであった。理由は、言論の自由を規制すること
              につながるとの裁決であったとのこと。かの国では、ときにここといっ
              た時には、まったく確りとした常識が存在することに驚かされることが
              ある。その点に関しては、独立宣言に忠実な国家といえる。
               これに対して、自国の裁きはどうかと眺めれば、個人の道徳倫理観
              に対して、お上はまったく信用していないのが実情にある。道徳、規律
              などは人々をお上の趣味にそった型枠にはめなければ、統治できぬと
              思い違っている。都会の田舎の条例規制等典型的な民度のタカさだ。
              浪花でも負けじと、規則囃しを奏でる始末だ。
               自国の裁判における実体は如何。その最高裁においてはなにおか
              況んや。
               裁判官はその良心にのっとって、とあるが、司法指導教則本というか、
              学説というか、その云うには、良心とは個人のそれでなく、法律の文言
              に忠実にある客観的な良心を指すそうだ。これは、全く同感である。
              だが、その教え、思惑と、はたしてその教えの良心が一致するであろう
              か。その言葉通りであれば、法律、その上部規範である基本法の言葉
              に真に忠実にあることが、学説・通説の客観的良心になるはずである。
              そうでなければ、筋道、論理が成り立たぬ。だが、現実は、これと反対
              の悪しき慣習が、特定良心になってしまっている。基本法より下部の
              法律等を統治機構の場にあるといった建前で、違憲にあらずといった
              三権分立の隠れ蓑、最高裁規則、教えにのっとったいわば恣意的良心
              に知らず犯されている始末だ。基本法の文言に忠実な良心、その遵守
              が司法官吏に正直にあるだろうか。事実は否である。
              

               しかし、いまはただ祈ろう 

              '' あした、また、太陽が輝くでしょう・・・・・・ ''

              *:吉田秀和さんの<音楽展望>より。 6月28日付け朝日新聞西部本社版




 

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                       さかのしたのくも54

                                     2011年6月27日(月)



                               

               後から良かれ悪しかれと、人の評価などを決めることはできない
              のかも知れない。ただ、少しだけわかりそうなのは、その人が生き
              た時代への態度だけだろう。しっかりと時代と対峙したといったところ
              で、皆それぞれその生きた時代へ対応していたわけだ。
               荷風の生き様は、おのが思いを時代に徹底して生きたと云える。
              なにも方丈に引き篭もり、世間へ窓を閉ざしていたわけではないだ
              ろう。晩年、彼が文化勲章受賞を、抑えた喜びにあった顔にあった
              のは、はかないちっぽけな命にある人間の普通の姿であった。
              その生を貫いたのは、時を贖うには弱い一人の性を差し出すしか
              術のなかった、そう余儀なくされた時代への反骨でもあった。
              義憤どうりに生きた人である。その態度はことさら義を唱えた訳で
              もない。ありふれた日常のなかで、おのが生活に気ままにあった。
              いつも己をつき動かすモノに対して軸がぶれなかった、ということで
              あろう。
               自分は、高名な仏文学者が、名のある詩人を時代の力との葛藤の
              なかで、戦中の誤りであったかもしれない時局活動、その弱さを庇護
              したような柔軟さを、まだまだ持ち合わせていない。度量がない、とい
              うことであろう。
               時代の検証の機会が、朝鮮動乱勃発を契機に、すべてうやむやに
              されてしまった。たった共産勢力との戦いのために、監獄から引っ張り
              出された政治家が、戦犯の汚名を禊、再び脚光を浴びたころから、
              政治の空気と連動して、いわゆる文壇、画壇、論壇、出版、報道媒体
              等の雰囲気も、過ぎた時代に対する態度などうやむやにされ、すぎた
              時に対する情け、あるいは戦時中の芸術・文化壇の動きなど、むしろ
              当然にあった、といった雰囲気に変化していくのである。
               自国が先の敗戦の検証を、いまもってなし得ないことの最大の因
              である。
              
               一つの評価をするには、まだまだ、時代の積み重ね、時間が足り
              ないということだろうか。芸術・文化といった目に見えぬ心の技に目
              くらまされてはならぬといったことでもある。







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                       さかのしたのくも53

                                     2011年6月26日(日)午後1時45分





つむじ風とすき間風



               ヒューツ ヒュー ヒュヒュヒューツ ゴーツ ゴゴー ヒュエーツ
              凄まじい声だ ヒュー ヒュー ヒューツ 
              風袋から無数の声が放り出され 吹き荒れる 

              戸を大きく開けた。と、たけり狂った声は直ぐに消えた。
              なにも無かった。 黙って風が肩をうつ。
              あらしには違いない。風は依然としてあたりの木立を靡かせる。
              草はひたすら風神さまへからだをあずけたままだ。

              台風5号が黄海へ抜けた。つむじ風が左側を通ると暴風圏を外れ
              ていても、いつも強い風が吹く。
               
               遥拝制服願望の流行が、音もなく地域へ蔓延しつつあるようだ。
              もともとその傾向にある政治組織の下部組織が、浪花の二者択一
              の主に倣えとばかり、教育環境をある方向へ向けさせようとする動
              きがあった。(*)保守党県会議員がいうには、教えにおいては、
              先ずなにより国を愛する心、郷土愛が必要だとのたまう。いまごろ
              妙な、不思議なはかりである。人の心情、態度を、規則、条例等で
              <愛>を植えつけられるとでも心底思っているのだろうか。
              生まれ育った土地、自然環境は、人々が誰に強制されなくともおの
              ずから愛情を育むものだ。まして、ものごとに対する学び、真実への
              目覚め、探求心は、その基において自由が最大の培養土だ。
              お仕着せの郷土愛、国家愛など、人をある型枠にはめ、その党の
              求める人間像、社会像へ仕向ける戦略的な意図にしかすぎない。
              条例等にもりこむなら、核兵器撤廃、人権高揚を基本にすべきであ
              るはずだ。
              しかし、かれらには無理からぬ話かもしれぬ。かの組織とっぷが、
              昨日、鹿児島で、原発再稼動すべしと、話していた。かれらの長年の
              原子力行政のつけが、今回の福島人災へとなったことなど知らぬふ
              りだ。

               脱原発に向かえば、産業経済の衰退ばかりか、失業者等の増加
              が目に見えているとの話しがきこえた。愚かしい言い草にある。
              あたらしい熱源への開発が、新たな雇用創出へとなるきっかけにな
              るとの言及はない。おなじ経費がかかるなら、人、環境にとって良好
              な熱源開発へと舵を切るほうが、よほどしっくりし、活力活性化が計
              れる。

               戸をすこし閉めた。 と、フューツ ヒューツ ゴー 
              風神さまが目に見えぬくらい大きな袋をひろげた。ビューッツ
              

              (*):二、三日前のNHK宮崎地方放送局の伝より


         



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                       さかのしたのくも52

                                     2011年6月24日(金)



                                   
                                 


日照りが強かった。

わが友は元気だ。

きょうはヤモリどうよう

なぜか人に好意的だ



トカゲは湿気が好みかと思いきや

熱くなったコンクリートにじーっとしたまま

餌を狙っている



愛嬌のある目玉である

小さな虫たちには恐竜だ





                自国民の我慢強さに乗ずるばかりか、人の良さを幸いに、
               これほど敗戦後、長年にわたって人心をそこなってきた政治も
               めずらしい。その伝統の尻拭いにせっせと浸る現政権は憐れ
               である。厚顔無恥の言葉がぴったりとあてはまる。
                本来ならば、軍事同盟からの脱却を、まっ先に課題として取
               りくむべきところ、嬉々として飛び道具の輸出の可能性の了解、
               爆撃訓練場の恒常化など、見るにつけ、聞くにつけ、一体どこ
               の国なのか腹立たしい。はっきりとしていることは、自国は未だ
               占領のままにあるということだ。どこにも、じこくの理念、独自性
               など見当たらない。先の大戦いらい、すこしの間もなく戦争を継
               続する米国の異常さを、はっきりとたしなめるべきだろう。それ
               が、本来の修好、友達である。事務方の交渉では、自国政治家
               の幕末以来の泣き所をつかれて、相手側はむろん、自国事務方
               から冷笑・哄笑を受けているというではないか。圧力に弱いと。
               まつりを、真から主権者のために代理して行う性根がすわってい
               るなら、基地移転という話しなどから、すべての自国米軍基地
               撤廃への道へとしっかりと舵をきることだ。流行文句でいえば
               いえす うい きゃん である。

                京が記録をだしたとのことであった。研究者の努力の成果で
               あろう。それが、ひとびとの幸せにいつも役立つようにあってほ
               しものだ。科学者、工業技術研究者等の世情にたいする態度、
               生きかたが、従来より人々に対する幸、不幸に影響する機会が
               ますます多く、大きくなってきている。 武器一つとっても、技術、
               物理科学が、場面が違えば生産手段そのものとなっている。
               宇宙開発と、飛び道具の境は、そこにある人々のリンリ感、命
               に対する責任感、他者にたいする思いやりにある。

                工業産業等をはじめ、企業が事業を継続していく上で、時機に
               応じた設備投資は不可欠にある。老朽化した設備の更新、最新
               鋭の設備配置は企業間競争で生き残るための常識である。
               その投資には潤沢な資金が要る。無駄な経費は極力控える。
               生産性をあげるため研究が血眼で行われる。
                おなじ、投資でも、人殺し道具へのそれは、まったく無駄な投資
               である。道具なら日頃から使う訓練を継続せねばならず、新兵器
               ができれば、その配備へと配備費だけでも莫大な費用が要る。
               小銃でも、その訓練に消費される弾丸等は、弾だけでも多くの
               国税が費やされる。爆撃訓練に使用される土地など、使い物に
               ならない巨費が打ち込まれる。しかも、頃合を見て、武器産業か
               ら新たな最新鋭の殺し道具が示され、遅れませじと設備投資
               ならぬ、買い替えが始る。軍需産業の市場活動の戦略が走る。
               世界貢献、義のためならん、と妙なせいじてき宣伝、報道が回る。
               和と殺しの境で、ひとは商いにいかなる使命にあるのかよくよく
               考えることだ。






               
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                       さかのしたのくも51
                       
                                     2011年6月21日(火)午後2時50分





梅雨のなか、玉葱が干したままにあった。
大丈夫なのだろう・・・





              長雨の雷はあじけない。なにか引きずったような後ろめたさだ。
             雷様はにわか雨が一番だ。突然肝っ玉をつぶす。その轟きがいい。
             沖縄はすでに夏到来、野球が始った。北はやっと入梅とのこと。
             
              多数党が政権に就いたからといって、ここの行政、外交課題、法
             律(案)等を、主権者がそれぞれ支持、容認しているわけではない。
             ことに、主権者に重大な影響のある外交等、本当なら国民投票で
             厳格な承認を経るべきだ。だが、本来の民主的手続きをいちいち
             とっていたのでは、迂遠な行政手続きとなり、課題の先送りとなる
             可能性が生じる。そこで、主権者の代表者の一機関である内閣に
             行政権を仮に与えているのが事実だ。それゆえ権力に在る者、国
             会議員、公務員等は、自国基本法により厳しく従う必要があり、そ
             の尊重、遵守が義務となっている。
              二足す二が、きょうから開かれているそうだ。なかみを見たまえ、
             どこに尊重・遵守が感じられよう。共同開発中の飛び道具を、第三
             国への移転を容認するそうだ。・・・・空母の発着訓練の候補地に
             鹿児島の馬毛島を明記して、検討の対象とするそうだ。これなど
             どれもこれも基本法理念に違反する事は明白である。
              文部官僚経験者が、政治家となり、しかも大臣ともなり、その言辞
             などを聞けば、どこに自国法に対する尊重があるのか少しも感じ
             られないことがしばしばであった。しかも大概の場合、横柄な口ぶり
             で歴史教科書検定問題など、どこ吹く風の有様だ。これらの官僚文
             化がいまも続いているとしたら、現在の上級官僚はもちろん、そこあ
             たりの吏員までもが、既定の行政しそう・ししん、に則ってしゅくしゅく
             と務めにあるとしか思えない。政治家になった暁にはと、坂之上の
             夢にでもあるのだろうか。
              イラクで非業な死にあった、若い外交官、その死さえ不明瞭な処
             理で葬り去られたかっこうにある。そのなくなった人が、彼の出身
             大学の冊子で、外交官となった思い、その仕事に対する心やり等
             を記した言葉を読んだことがある。そこに人が話すことは、真に純粋
             な仕事への態度であり、りっぱな言葉であった。それは、外交官僚
             なかでも、自国外交の基本は日米との共同、協調になければなら
             い、との確固たる信そのものであった。組織文化が長い時間を経て
             その目に見えぬ施行細則をしらず敷き、育て上げた思考、態度等
             は一朝一夕ではなくならない。それが人にとってよりいい方向に
             ある文化ならば、大いに尊重すべきことである。だが、それが重大
             な事柄を主権者の目に見えぬところで、ことを処理するのが当たり
             前といった行政事務なら、危ういばかりか、自国と世界の進むべき
             方向を暗くしてしまう。かの国のいうことだけが世界の進む道では
             ない。優秀な人材を台無しにする、意識的な政治術等による育成・
             指導は、本人のみならず国民にとって悲劇である。
              最高裁判所裁判官には、これまで経済界を代表する人物、かって
             の間諜畑・軍人関係者、公安関係上部経験者、外交官僚出身者な
             ど、多士済々であった。
             ただ、みなすぐれているかどうかはわからない。

             追:午後七時のニュースで、二足す二の会議が始った、とその内容の
                一部が報じられていた。気になる言葉があった。現地特派員に
                よると日米両国にとって意義ある会議が始まった云々のとの文言
                であった。どういった意味の意義なのか、なにも説明などなかった。
                短い時間で、しかも自分の話す言葉にどういう意味合いが含まれ
                ているかもしれぬことには気がつかなかったのだろう。あるいは、
                両国の軍事同盟の意思にそった意見傾向にある人しか、特派員、
                駐米報道員にはなれないのかな、といっ疑問が一瞬浮かんだ。
                かって、解説員の責任者らしい人士が、外務省の報道官へと身を
                転じ、人を驚かせたものだ。どこに中立公正などあるのかしら、と
                思ったことである。中国等の愚かな旧帝国主義を喧伝することなど
                かえって日米の見え透いた心根を示すことにしかならない。自国は
                独立国である。しかもその国が足をしっかりと据え置く基は、基本法
                である憲法にあることを、報道関係者たりとも忘れてはならないこと
                です。NHKでは、いまも先の戦争に関わる問題が発覚した当時と似
                たような圧力、特定報道へのホウドウかんせいがあるのか知らん。
                自己検閲という名の人々から言葉能力を奪う隠れた動きが。







                                   
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                       さかのしたのくも50

                                      2011年6月19日(日)午後8時半



                                   
飛翔

雨が雷鳴をともなって落ちてきた。午後二時半ごろ。



風雨にはげしく靡く



いつもの場所に居座るだけだ





              この前、ネットで、おそよ130億年前の原始銀河集団に、3000個
             (あるいは万単位であったかも知れません)以上のブラックホールが見
             つかったとあった。いわゆるいま我々が所属するであろうところの一つ
             の宇宙でしかありませんが、そのビッグバンが始ってわずか7億年ぐら
             いで出来上がった銀河集団であるらしい。そこでは途方も無い重力が
             それぞれ、いわば競演といった格好で、そのホールの大きさを競ってい
             るとのことだった。銀河自身の現在の姿は、はるか130億光年もの先
             にあるので、解りようがない。ひょっとして、穴は相互重力作用により
             強力な、巨大な穴と化し、銀河集団全体をほぼのみ尽くし、いまでは
             あらたな宇宙創世への門出の準備にあるのかもしれません。それとも、
             遅れて後を追っかけるわれわれ銀河をはじめ無数の銀河群を待ちうけ
             て、ころあいをはかって一気に、一族郎党でその生を全うするつもりか
             も知れません。何れにしても、無限、極点のせめぎ合いの特異点にま
             でいかないとなにが起るかブラックホール自体所作の及ばないところ
             でしょうか。無限という存在、その無限の断片のあつまりを放射、吸収
             する極点とはどういう点なのか。むづかしいことは解らないですが、
             π、eという概念のしめす数も、それ自体は無限という存在でしかも
             確かな事実としての数を表しています。ただ、その姿は理論的には
             わかっても、どこがその起点かはついぞ手から零れ落ちていきます。
             無から有を生ずること、特異点とよばれる極限であろうと考える起点
             は、ゼロではないし、観念的無でもない。ただその姿が限りなく永遠
             の運動の姿としてしか捉えようのない点であることは解ります。
              ただあるということは、言葉の概念としての無と同じ無限にあること
             でしょう。無限の培養元はなにか、無限の断片を束ね、さらなる無限を
             作るエネルギーとはなにか。著名な科学者のステイーブン・ホーキング
             博士は、重力の動きの差、揺らぎにあると、同じ伝に載っていた。
             しかし、揺らぎを起こす基はなにか、そもそも重力とはいったい何なの
             か、不思議な力、近無限の存在をつきぬける、強大で極微小の手に
             負えぬもう一つの<存在>とういう<無限>はなになのか。
              考えれば考えるほど、素人にとっても、存在、宇宙はいつまでも話し
             がいのある現象です。
         

              仏国で、自国のお茶か欧州基準を超えるセシウムが感知され、
             廃棄処分されたとのことであった。静岡の首長は、お湯にして呑めば
             なんら人体に影響のない値であるとのべていました。もちろん風評被
             害から生産者を守ろうとする話で理解できることです。ただ、自国が
             外国に発生した伝染病、汚染食物等に直面した場合の、これまでの
             厳格な防疫体制等をみれば、外国同様の制限をとってきたものです。
             情報は、なんであれ、正確な情報提供にあらねば、それぞれの国々
             の信頼を得ることは難しいものです。自国の物差し、安全だろう基準
             では、商いは成立しません。苦しいでしょうが、しっかりとした汚染処理
             等に努める行動が制限を解除する近道です。茨城の漁協が安全で
             あるとの行政の判断に対して、自らはっきりと安全を確認しなければ
             茨城商標が元も子もなくなると言っていました。当然であると思います。
              原発再開すべしとの政府の話があった。再開は単なるその地域だけ
             の問題等でなく、近辺自治体地域を含めた住民の同意が必要と思い
             ます。当県の串間市では、事故発生によって、原発立地についての
             住民投票が中止されたものです。いままで、不思議におもっていたの
             ですが、ある市町村で原発誘致運動がおこったとき、その隣の市町村、
             近隣の県等の住民意思など顧みられることはありませんでした。
             原発立地、原発開発・再開など一地域の町、村だけの問題でないこと
             が、よく認識されたことです。おらが町の経済、商工の発達だけでは、
             危ういどころか、国外さえにも悪影響をあたえ、結果として高い代償を
             負わねばならいということです。
             
             
              スーチーさんの誕生日だそうだ。
             すこしは自由の時間にあったそうだ。民主化が少しずつでも・・・



              注文していた本が昨日届いた。書店には別に急ぎませんといって
             いたのだが、約四週間して手にした。なんとなく旧知にあったような気
             分で、言葉通りこのところ休日と決めていた日曜日のきょう直ぐに読み
             上げた。読後、すばらしい気分にあった。澄んだ悲しみといった感じです。
             少し、といっても多くしってもらいたいと思って下記にその一部を紹介し
             ました。*

             ・・・わたしが小説に求めるのは傾向ではなく、芸術的価値です。・・・
             ほんものの芸術家は、自分の創りだした人物を皮肉ったりはしないもの
             です。おわかりでしょうね。・・・・・・だからといって偉大な表現様式の
             風刺まで締め出してしまうわけではありませんよ!・・・

             ドイツにおける鳴禽類の衰滅の原因について読んだところです。営林、
             造園、農耕の合理化がどんどん進んで、鳥たちの自然な巣造りと食餌
             条件ーつまり空洞のできた樹林、荒蕪地、藪、庭地につもる落ち葉など
             -が、徐々になくなってきたせいです。読んでいてもとても胸が痛みま
             した。人間が鳥の声を聴けなくなるのが悲しいのじゃありません。「抵抗
             するすべのないこれら小さな生きものたちが、ひっそりと、とどめがたく
             滅びていく、この図があまりに痛々しくて、涙せずにはいられませんでし
             た。これが思い出させたのは、北アメリカ・インデイアンの滅亡について
             の・・・の本・・・彼らもまったく同じように一歩一歩、文明人どもによって
             土地を追われ、ひっそりと残酷な滅亡への道を辿らされたのです。・・・

             「わたしの人生にと同様に、わたしの墓のうえにも、偉ぶった句があっ
             てはなりません。わたしの墓碑には<ツヴイーツヴイ>という二文字し
             か記してはいけませんよ。これはシジュウカラの声です。わたしはその
             真似がとてもうまくて、シジュウカラたちがすぐに飛んでくるほどです。・
             ・・」
             
             ・・・美しい仮面の下にとんでもない愚かさと下卑た心根が隠されてい
             ることがわかって・・・ミロのビーナスが最高の美女としての名声を幾世
             紀ももちつづけられたのは、結局のところ、たんに彼女がものを言わな
             いからにすぎないのだ、と。・・・

             ・・・屋根(監獄)の天窓をとおしてぎらぎらと輝き、空一面が金色に光っ
             ています。わたしはとてもいい気持ちになってーなぜかわかりませんが
             -グノーのアヴェ・マリアをそっと口ずさまずにはいられません・・・

             ・・・あなたの手紙の結びのおかしいことといったら。手紙が長すぎると
             か愚にもつかないとか思ったら最後まで読まないでくださいだなんて。
             笑いころげてしまいました。・・・

             ・・・ドイツ座での『お気に召すまま』・・・じっさい、わたしはシエイクスピア
             の喜劇をなによりも高く買っています。でも戯曲はたいてい理解できま
             せん、つまり、そのどこに感嘆すべきかわからないのです。・・・


              彼女の知的偽善にたいする嫌悪さえおぼえます。
             紹介本は、すでに多くの方がご存知でしょうが、わたしはこの歳に
             なって初めてよむことができました。
             *本は、「 ローザ・ルクセンブルク 
                      獄中からの手紙
                   ゾフイー・リープクネヒトへ 」 大島かおり編訳より
                                           みすず書房刊
             追:訳者がゲラ刷りを読み終えて一息ついた翌日、今回の大震災
               が襲ったとのことでした。記憶の底から戦後東京の焼け野原の
               光景と忘れようもないヒロシマ原爆図が頭をよぎり、しばらく
               なす術もなくおろおろしながら、ローザの時代の諸場面が重なり
               あっていたそうです。いまの状況のなかでローザの手紙が出版
               されるのは、まことに彼女にふさわしいと思われたそうだ。

                       


昨夜ごそごそ音がした。いつものムカデか。
なんと七、八センチの蟹でした。川蟹でしょう。
近づくと挟みを大きく開いて威嚇します。
残念ながら、今朝は姿がありませんでした。










 
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                       さかのしたのくも49

                                      2011年6月15日(水)



                      




               あたらしい命が生まれた。うれしい。
              甥っ子の三番目の子は、二人目の男の子であった。
              娘一人に息子二人となったわけだ。五人家族の所帯である。
              弟の三人目の孫だ。6月が誕生予定と聞いていたので、いまか
              いまかと知らせを待っていた。やっと昨夜電話が鳴った。
              震災の影響で、妊婦は成田空港閉鎖のため已む無く北米で
              お産をまつほかなかった。それではと、弟嫁さんが介添えに
              向かっていた。 知らせの当初、電話が遠く、途切れ途切れに
              しか聞こえなかったので、新手の振り込め詐欺かな、と思って
              電話を切ってしまった。だが、直ぐにかかってきた。
              聞けば、生まれたのは、五月三十日とのこと。なかなか当方が
              つかまらず、やっと昨夜知らせることができました、と弟嫁さんが
              遠距離の電波のうねりから、声を高まらせたり、か細くなったり
              して話してくれた。ああ、よかった。親子ともども元気にあった。
              あのひょろっとした甥っ子が、三人も子どもをもうけるとは大した
              ものである。弟もさぞや嬉しかったであろう。今年で六十四歳と
              なった弟は、某醗酵会社を退職してから、医療バイオ関係の仕
              事に就き、ばりばり仕事に飛び回っている。いま、仏国に出張中
              で、二十日ごろ帰国しますとの嫁さんの話しであった。
              いい父の日だ。無理するな。おめでとう。





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                       さかのしたのくも48

                                     2011年6月13日(月)
                                                  午後10時50分




                           

                             


午後七時半ごろの夕焼。雨の合い間、北西に広がっていた。





              痛い。腹を押さえた老婆が息子を呼ぶ。しまったと思った
             時には、すでに事件は起きてしまっている。月に一度あるか
             ないかのできごとだ。たいていその事件は朝方に起きる。
             案の定、肌着を上げ、下着を下げて、平なおしめに敷いた尿取
             り被いを見ると、きちっと黄いろに盛り上がった粘っこい大便
             が現れる。なんで約束を破るの、あれほど何回も便意を催した
             ときは、直ぐに言いなさいといっているのに、と詰めよる。
             母は、すこしわびる様子で笑みしている。まったくと、当方は
             その尿取り被いを外しながら、うらみつらみをいっぱい吐くのだ。
             母の尻を上げさせ、こう門から下毛にまとわりついたくそを拭う。
             くそっである。だが、きたないとは思わない。なれない時は、気
             色悪かったが、なれればなんとも無い。ただ、約束事が守られ
             なかっただけがしゃくに障るのだ。まこち、という。まこち、と。
             あとで、毎度のことだが、自分が幼いころの気ままな排便騒動
             と変わりはない、と納得して、朗朗介護と老詠する。

              何でいまごろ、といったいつもの保安院のお小言である。
             東電の労働安全衛生管理が形式的なものであったことなど
             これまでの事件経過をみれば当たり前のことである。一番
             危険な作業を、その危うさをもっとも知り得る当事者本人等が
             せず、下請けの人々に任すことなど、そのこと自体が命を蔑ろに
             する行為にあった、といっても言い過ぎではない。また、その他
             の作業員、現場から離れた地にある人々への被曝状況も追々
             明らかになることだろう。管理されない、ありのままの精確な情
             報の迅速な発表にあることだ。
           
              別に連立しなくとも、人々の甚大な罹災にたいする支援、復興
             はできる。連立なければ復興なしとするせんせい、しきしや、ます
             こみ等のご託宣など、恥ずかしい虚虚実実の芥もくたである。
             ごたごたを権力掌握到来とする浅ましさ。偏狭な保守党の不寝番
             と成り果てた、二大週刊誌の一斉の喚きなど、自国の全体主義
             を予感させる確かな兆候である。 
             復興のための連立ならば、その目的だけにあるはずである。
             ところが、これを幸いにと、政党自身の特定目的を利するために、
             つまらぬ政策の詰め合わせを求める図など、復興目的とはかけ
             離れた権謀術数にしかすぎない。
              オペラ座の主人公に悪いが、表情変えずに仮面のままの凝視
             した目にあるかのような元大臣輩、壮年の偏頭痛にいつもある
             恰好の目つきにある盟主防衛村賛歌の甲高い声の持ち主等、
             確信犯そのものである。そうした彼らの政策のすり合わせなど
             みえみえの言でしかない。見たまえ、彼ら一派が求めるもっとも
             肩を組み合わせ易き人士は、同じ穴の狢がいそいそと詣でる、
             かの盟主防衛村に日参し、美しき国の主に保証された相手であ
             る。少数党を離反し、主に一時の別れの涙をもらし、抱擁にあった
             女史さえ惹きつけた相手だそうだ。 これなど、先行きどういう国
             体を目指すことになるのか空恐ろしい。 他国の基本法をいとも
             簡単に改悪せよと迫る巨体の体躯の持ち主、黄色人種の偏見を
             打ち破るために、敢えて激戦地の欧州戦線に赴き、幾多の同胞
             の名誉回復に貢献した人士、しかし、戦争で名誉を回復させた事
             柄と、先祖の地に盟主論理の強引な防衛戦略を押し付けることと
             は全く異なる。彼は米国人である。しかも強力な軍産学資協同を
             推進する防衛軍需村の有力地主である。 
              連立は、本当に被災者のためにするだけ、といった真意なら
             すこしは人々に入れられるだろう。妙な色気を振りかざすな。
              復興か、連立か・・君等の得意な二者択一である。そういまも
             思うのなら、被災地の人々へ直接いったいどうしましょう、と賛否
             を問うことだろう。なにがねじれ国会であろう。人が困窮している
             時のまつりは、どうあるべきか、君等はよくよく心すべきだ。

              先日、米国と協同開発にあった人殺し兵器の輸出を可とする
             動きが伝えられていた。しかし、その後は、ついぞその事実に
             対する追跡の記事等ない。大体、兵器を開発すること事態、法
             に反することであり、まして米国とするとなると、自国の法は何で
             あったのかと云わざるを得ない。
              九十九条にもっとも違反しているのが、国会議員、公務員
             なかでも外交官僚・文部官僚、そして最高裁判所裁判官に
             ますます見えてくるのは、不幸なことである。







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                       さかのしたのくも47

                                     2011年6月12日(日)



                                                                     



              産業効率、産業経済活動だけに重点を置いた原発推進の考え方に
             違和感を覚える人が大勢いるということが、多くの情報媒体等の伝達
             から分かります。こうした考え、思いは、今と違った生活環境になった
             としても、それほど人々へ想定外の環境変化をもたらすとは考えては
             いないでしょう。むしろ豊かな生きかたを感じさせる文化の創造にある
             ことを惹起する契機になりこそすれ、文明の退化を予想するひとは少な
             いでしょう。また文明は、人々の経済活動を促進する手段でしょうから、
             いまと違った生活に放り出されるのは、経済の停滞になり、ひいては生
             活程度の低減になるとの考えもあるでしょう。どちらも一理あります。
             でも、もう一度、ひとの考えについて省みみることも大事なことであると
             思います。文化がもともと人々の育った生活環境から自然に生まれた
             知恵、育った地域の人々の繋がり、日常心のありようにあるとすれば、
             文明は地域社会、ことに生活基盤の利便性に根ざしたものでしょう。
             そこでは、従来と違った生活手段が工夫され、さらに高度の手段が
             生まれ、段々と考える力、地域格差が生じます。つまり経済活動の原
             始的手段開発の競争、その研究工夫の進歩が目的となったものにな
             ります。貨幣へと変化発達した経済交流手段の進歩は、人の考えが
             文明を強く意識した一つの例でしょう。一方文化は、停滞したままにあ
             ったかといえばそうでないことは、わたし達がいまいま見る地方踊りの
             継承、地域の優れた造形物の保存、言葉の思考集積としての様々な
             記録収集資料、出版本等にその進歩を見て取れます。その最大の価値
             はひとの命にとってなにが大事なことであるかといった、先人の思考過
             程を生かそうとする人々の努力にこそあります。 文明が、くまなく利潤
             追求のそれだけだとしたら、その殺伐さに、早晩豊かな文化もいっしょ
             に滅ぼされてしまいます。
              経済活性化は、けして文明活性化につながりません。文明が文化の
             ゆたかさを蔑ろにすれば、また文明そのものの滅びを導くことになります。
             
              科学等に携わる人々は、文化のこころをけっして忘れてはならないで
             しょう。一つの研究が人々の命にとって重大な影響を及ぼすときに、他者
             を省みず、単純な先駆け名誉、私的利益、企業利潤のみに走ることが、
             どれほど命、生活環境に甚大な損失をもたらしたかは、ここの歴史が語り
             かけます。 
              アインシュタインの場合(*)には、緊急必要悪の思いにあったにせよ
             、その自らの研究成果がもたらした結果の一つが取り返しのつかぬ事態
             を招いたことに、深い反省の念に追いやられたことです。
              また、いまある生活が、表面上経済的に後退したとしても、しっかりした
             文化の継承があれば、たいしたことではありません(*)。文化のこころ、
             つまり考える力の進歩、発達があれば、経済的後退など、たいした問題で
             はありません。見た目の進歩、経済的成長より、互いの日常的つながり、
             思いやりがあれば、後退といった言葉等に惑わされる必要はまったくあり
             ません。 もう一歩、いまあゆむことが、自らの意思と関係なく生まれくる
             後の人への責任であり、希望の言葉が生きるときです。

              NHKのニュースによれば、佐渡、石川に継承される人々の生活姿、と
             いってよい自然環境と共存する棚田等が、世界遺産として認められたそう
             だ。古くていまも引き継がれる新しい文化である。先の人と空間を共有する。
              思うことですが、人が自然をよく知りその立場の違いを弁え、共存して
             いくことは素晴らしいことであり、人の知恵の結晶を示します。さらにその結
             晶を大きくしていくことは、いまある人の務めでしょう。自然はいつも厳しく少
             しも容赦などしない。自然に感謝などしても、いつも無頓着だ。でも、人は
             その中でしか生きるすべがない。だったらその力をうまく利用するほかは
             ない。利用の仕方を誤ると、とんでもないしっぺい返しをうけることになる。
             残念ながら、すでに温暖化といった取り返しのつかないしっぺいをうけてい
             るが・・・そして自ら作り出した放射能汚染としても。
              世界遺産が、すぐれた人の伝統文化、遺跡、自然環境を守り残すことに、
             その主眼があるならば、人の考える力としての意思表現も残してしかるべき
             だと思います。例えば、自国憲法は、世界遺産として残す価値のある最大
             のものであると考えます。愚かな国の意思としての戦争参画など決して残す
             価値のあるものではありません。自国憲法の精神、その言葉を残すことは、
             いまある人々へのみならず、後世の人々への遺産です。なるほど、この時代
             はまだこの程度の平和の意思にしかなかったのか、といった後生の人々から
             微笑み見られることは、残し甲斐のある仕事です。
              是非、自国憲法を世界遺産にしたい。



             ◎ 二段目の(*)印は、九条の会の講演会で、話された
               鶴見俊輔さん、澤地久枝さんの示唆等によります。







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                       さかのしたのくも46

                                     2011年6月05日(日)

              小降りな雨の一日です。昨日、東京でありました九条の会の講演会
             に出かけました。会場の日比谷公会堂は満員の人で溢れていました。
             母を短期滞在介護所に託したままでの出かけです。留守した分を挽回
             しなければと思っているところです。 今日は会の模様を紹介します。
             詳しいことは後日出されるだろうDVD等で調べられたらと思います。


               

熱情 輝き 敬愛

九条の会講演会
      2011年6月4日







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                       さかのしたのくも45

                                     2011年6月04日(土)



              主権者の代表にあるはずの政治家を名乗る連中は、地位に就くと
             超待遇のもてなしを受けている意味を没却したのか、情けなき政争に
             明け暮れるようだ。なかには、まともなら、道義的にいってもうとっくに
             引退してしかるべき輩が、やれ辞めさすの、引責だ、問責だと喚いて
             いる。なかでも、かって一度もまともな政治を見せたことの無い人士は、
             その手腕といえば、組織破壊者としての道を邁進して、いまなおその
             意気は盛んのようだ。次々と離合集散を繰り返して、団体を組織した
             かと思えば、だんまりの中で、集金力を見せしめて、だだその金の力を
             わが延命の基盤とするだけだ。そのお裾分けにあずかる社中には、金
             等しく政治だといった幻想が根強く巣くうようだ。憐れ也。
              誰が、トップに立てば、放射能汚染が一気に収まると思っているのだ
             ろうか、不思議な論争である。だれがトップに立てば、インフラ整備の
             堰となっている膨大な瓦礫の山積を一気に除去できるというのだろうか
             。生活基盤の整備の第一は、幹線道路の確保、次にその地方路線の
             確保といった方法しかとりえないであろう。その最初の手立てこそ、時
             間の経過と救済の道の前をさえぎる瓦礫の山々を取り除くことであった。
             いま、どうにか道路が整備されつつあり、やっと復興への端緒についた
             といえる状況になったところだ。混乱に立ち向かわずに、政争に明け暮
             れる人士に、いったいどれほどの力があるというのか。放射能は、今後
             けして払拭されることはない。その放射能を一瞬に断ち切ることが可能
             とでも考えているのだろうか。そうではないだろう。旧保守党政権の狢
             ならできるとでも云うのだろうか。
              今回の深刻な人災は、われわれ一人ひとりに背負わされた後に続く
             人々に対する重しにある。ひとりひとりといったが、この人災はもともと
             特定思考の人々の傾向によって意識的、見切り発車的につくられた
             経済産業勃興主体の産物にある。原発ははっきりと廃止すべきだろう。
             なにが経済産業活性化であろうか、なにが地方再生であろうか。
             人々の命を危険にさらし、ちっぽけなこの地球さえその浅知恵で滅ぼ
             そうとする。経済産業構造そのもののあらたな形を考える時にある。
             
              ごたごたの中で、遥拝制服礼賛の輩が情けなき条例をぶち上げた。
             一方では、防衛省の的外れな説明が沖縄に対して行われた。さらに、
             アフリカに自衛隊の基地を造るとのことである。これなどまったく議論
             などされていない。<武力攻撃事態法>*にのってということであろう
             か。私達は、もっとしっかりとそれぞれの頭で考えていかなければ、ま
             すます、あれよあれよというまに、基本法と相容れない外交、政治が
             普通になってしまう。盟主大使館勤務の女史が、防衛省幹部に登用
             される話など、いったいどこの国かといった感がする。

              検閲という話がある。・・・自主規制という検閲が。<何も言わなくて
             も本人が自粛するというのが一番強烈な検閲で、日本では1938年
             ぐらいにはほぼそういう体制がつくらえています。ソ連も同じです。
             現在、日本のテレビというマスメディアの中で行われている、統制が
             かかっていないのに見事に統制がとれている、・・・・・・>*
             どうでしょうか。引用した言葉の短さでは判読し難いかも知れません。
              要は、目の前に起ることがらに対して、しっかりと自分の頭で考え
             ひとりの人間としての一つ一つの言葉を体得していくことだということ
             です。

              放射能汚染、辞めよ、辞めない、風評被害、スキャンダル等々の
             けたたましい週刊誌、論壇誌、新聞の喧騒。だが、単純に煽りとだけ
             で見過ごしてはならないでしょう。煽り煽りといって、しらず問題の
             本質から身を引く、あるいは逃げている場合があるかもしれません。
             逆に、なにが彼らをしてそう言わしめるのか、なにが彼らをしてそう
             煽りせしめるのか等について、しっかり見ていけば、その本質がやが
             てわかってきます。人から<・・言語能力を奪っている・・>*まさに
             テレビを始め、言論媒体等の裏の面が浮かんできます。




            *「歴史の悲歌が聞こえる」<戦前>としての今日 杉本紀子編  未来社刊
            <>*印しは上記本中の目次(グローバルファシズムの言語戦略 小森陽一)より     
 






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                       さかのしたのくも44

                                     2011年5月31日(月)


                                                      


サクラ蘭が色づいた。




四、五年前には見事な花を見せたが
このところ花・実を結ばなくなった。



9cm鉢に植わったまま十四年過ぎてしまった。





              外堀を埋め、内堀を埋め、三の丸、二の丸を落とし本丸が朽ちる。

              堀を埋めることは、交易興隆ならん、内掘り埋めるは家内安全管理、
              外郭維持管理補修の一環也。これまつりの本道なり。

              政道とは、人倫の道を損なわぬ方策を講ずることにあり。
              自由を唱えるにご政道を破るは、人倫の道に背くこと也。
              而して罰するはまつりの務めにあらざるや。これぞまつりぞ。

              上部ご禁制に触れましも、人心安らかなれば、下部政道は随意也。
              然るに下部禁制に触れし定めは、御法度なり。
              是、上下の規範の違いなれば矛盾なかりし候。

              其万端滞りなく人心を統べる手立ての政務也。沙汰所の常套也。

               基本とすべき範が、いつしか形式的な冠りとなり、顧みられず、
              真意も知らされず、気づいたときには、色を変え品を変え、法令という
              奇形な姿で人々を被い尽くしてきた。なし崩しにされた基本理念、法源
              が蔑ろにされたまま、既成事実としてそれら法令が身の回りを囲む。 
              これまでどれほどの法令が基本丸を攻めるため、言葉の形式的矛盾を
              厭わず攻め立ててきたことか。 いまでは、というより焦土から生まれ
              きたときからであったが、遵守すべき基本法の規範に抵触する幾多の
              法令が、まとまな違憲審査もされず、行ったとしても慣習的な解釈手段、
              旧態依然の法理論なる解釈に停滞したままの取捨選択に終始し、加え
              て統治機構との兼ね合いといった主権のためでなく、三権分立との兼ね
              合いといった隠れ蓑を法衣として、違憲審判をさけた。行ったとしても奥歯
              に物が挟まった判断がしばしばであった。 法律はとみると、そこでは大部
              が、法律条文内容と抵触する事件では、無効、取り消しとなる場合が普通
              であり、また条文そのものが無効と定めている。ところが、上部規範に触
              れる規則等は、管理の問題として不問にふされてしまう。
               いま一度、法体系では何が判断基準になり、何が法源にあるのかしっか
              りと確認することだ。 法律の下克上は許されるものではない。
              なし崩しがこれ以上進めば、法治国の名が泣く。
              九十九条が義務づける法意を、そこにある人々は確かめられたい。
              
               裁判官、上級官僚なかでも外交官僚、文部科学省吏員は、基本法規範
              に忠実にあれかし。引き続き懐疑にある政務提言に終始するならば、いつ
              までも展望が開かれない。国は君等だけのものではない。まして盟主の
              ものなどではない。
               政治家は、現基本法にこそ将来に引継ぎ、残すべき希望があることを
              十分認識してもらいたい。後に続く者、子ども等には最大の贈り物だ。
              最大の羅針盤である。

              





         
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                       さかのしたのくも43

                                     2011年5月30日(月)


                                   


夕暮れを赤く染めやり嵐過ぎ 



遅れまじはやて追いかけ雲が散る



風たちてしろがね靡く梅雨や暮れ



嵐去る天に居座る暗雲と

暗雲が居座りおりて疾風逃げ

 



                   もの云わぬものへ おおきなまなこをあけたまま

                   りんかくのつかめぬ自分をみる

                   おおきなおおきなあつまりとなった自分をみる

                   われは いまあると われは いまあると

                   もの云わぬものへ おおきなまなこをあけたまま

                   ひとりひとりがつげる おおきなひとりがつげる

                   ことばのないことばを告げる つげるのみ        


                                        マーラー断想
                             ・・・喜びは苦しみの深さよりふかし・・ 





          
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                       さかのしたのくも42

                                     2011年5月27日(金)




雨が無心に描いている

そーっとのぞいて見た

街路灯だ

                                  


街路灯が深く深く沈んでいく

どこまで届いているのかしらん



あ~ 見えなくなった

色が散らばった



葉が面に滲む 

滴がつぎつぎとつらなり

押絵をかたどった



いろが浮かんだ


一つ一つ丁寧に輪郭をつける

すこしも見落とさない




            長雨のなかでの心配は、洗濯物の乾き具合だ。いつもなら、三、四時間で
           乾く物が、二日経っても湿り気が抜けず、次の洗濯物とぶっつかりあい部屋の
           あちこちで居場所を取り合う。母は、息子がおしめをふりかざして、しってんばっ
           とうする図を、背をかがめ上目遣いに微笑している。ときたま納得したように頷
           く。いよいよとなったら、有料乾燥機を利用しなければと思いつつ今日が過ぎる。
            日南方面では、懸念されたダム貯水率が回復し、新燃岳では、土石流が心
           配される。あちら立てればこちら立たずである。ならば、自然の一員とし身を置く
           のみ。知恵と工夫が活きるときである。果たして存分に活かされているかどう
           かは、現に生起する事象と対峙するひとの動きを見つめれば答えがわかる。
            
            都会の意には、物事の理に明るい人たちが多くすんでいる場所との意も含ん
           でいると思っていたのだが、どうやら必ずしもそうではないらしい。東のいなか、
           西のいなか、近ごろでは、尾張のいなかの人々の動静をみれば、どうしてこの
           ような片言隻句を其の場、その場限りで並べ立て、思い出したかのように振り
           かざす人物達が選ばれるのか、すこしは納得したような気がする。
           だからと言って、地方のいなかの人が道理に明るいとも思わない。すでに選挙
           民に拒否されたが、近くでは、おのれの言うことが法律であるかのごとき理不
           尽なギョウセイをほしいままに行った者があった。 如何せん、民意等しく道理
           とはならない。選挙制度の不備・矛盾が浮かび出る。民主主義の最大の欠点
           といえるところだ。  おもえば、当初からそうであったが、このところ喧しさに輪
           を掛けた言動にある人物が、いまにのし上がったのは、民放の放言番組がそも
           そもの発端であった。機会が何であれ、それを活かして飛躍の場とするのも一
           つの方法であろう。だが、一般の人々には、その者の本音のところで、その人
           物を知る由もない。あるのは、あるときは正しいかなと思える義を吐き、あるとき
           は人を見下す傲慢な片言で、そう思うであろうと思える人々の喝采を浴びる。
           大衆の不満を取り込む身の処し方を、弁論術をおぼえているのだ。 真意は問
           題ではない。そこでは、おのれの信に反する者への法としての君臨者。断罪者
           としての権力が重要なのだ。真意は最悪の場合ひとびとの権利を縛り上げる因
           となることだ。それゆえ決して真意は表れない。現れるのは、ギョウセイとしての
           意思を形式化する法だけだ、と発するのだ。 注意しなければならない事は、
           定型化された条例が、隠れた真意を発現する動きを加速する他の各種の動きと
           連動することである。 あれあれまた片言が飛び交うよ。主はよその議員定足
           数にさえいちゃもんを告げた。なるほど、これが謂わんとする地方分権、州道制
           への姿なのだろう。おれが天下だとのご託宣だ。井のなかでは溺れるだろうか
           らせめて丼の中のメダカと言うことにしとこう。

            政界再編なる動きが主の居ぬ間に動き出した。仲直りの手打ちを名目にした
           摩訶不思議な物語だ。もっとも役者が役者達だからなにも奇妙奇天烈なことで
           はない。未曾有の災害が進行する中で権力欲は一向に衰えぬらしい。当人達
           にとっては同じ釜の飯を食った中、しかも被災地の出身者同士ということで、なに
           が幸いするかといった、アングラの冗談にもならない。肝いりが、この前、わざわ
           ざ盟主詣でして、沖縄関連約束は変わらないといった人士なるそうだ。なるほど
           美しい国論者から盟主防衛村に、確りと推薦された人物だけはある。おまけかど
           うか知らぬが、運航翼の推薦つきでもある。集まった衆からみえてくるのは、妙な
           動きの一歩が踏みだしたか、といった感である。尾張名古屋の会といい、罪と罰
           の渦中にある社中といい、尾張の出来事の喝采を喜び勇んで手に手をとりあった
           衆でもある。それに鼻っ柱の強い制服遥拝願望の浪花の会が連携すれば、どの
           ような現象が起るのだろう。立派な全体主義の完成だ。しかも自国に群れをなし
           て生まれた竹の子政党など、旧与党はおろかどこもかしこも基本的には、国際
           貢献は等しく集団防衛を是とする連中だ。 さびしき自国の曙となる乎。
            
            俳優の山本太郎さんが、TVドラマの出演予定から降板させられたとの伝があ
           った。なんでも、反原発の活動がその因となったらしい。あるまじきことである。
           しかし、これが、寂しき自国の放送媒体の弱点である。商業放送は、広告主の
           意向には歯向かえぬのが一般的だ。かって、経済団体の成員の文言として、
           東電の幹部が、武器三原則の緩和を真面目に説いたものだ。人殺し兵器を
           商いの利とする考えなど、おれが天下だとする人物等とおなじ狢だ。いまでは
           平身低頭の日にある会社であるが、本当に反省しているのかも覚束ない。
           さらに、あくどいのは、俳優ならずとも覚えるのは、文部科学省の放射線レベル
           の設定の仕方であろう。進行中の人災は、チェルノブイリ事件と同等以上の
           深刻な事態であると何故認識できぬのか、妙なことである。今後廿年、三十年
           ・・・といった罹災影響が続く大災害事故である。 
            山本さんは、俳優業等辞めても、眼前の現象から目を背けることはできぬと
           の態度だ。すぐれた身の処し方にある。批判精神を失くしたお笑いタレント、臆
           面もなくしゃらしゃらと放言するむかし与党と懇ろな評論家等、その正体が晒け
           出される。 路頭に迷うのは厳しく、辛く苦しいことですが、俳優を支援する人々
           がきっと後ろ盾となって、ともに命に取って否定する動きに対して立ち向かうで
           しょう。しっかりと生きましょう。

            民意は等しく道理とはなり得ません。民主主義は多数が理に叶うわけではない。
           人々がもっと己のこととして、まわりの事象、痛み、悲しみに思いをいたすことで
           しょう。当たり前のことながら、それが民主主義本来の姿でしょう。
           飼い慣らされた羊のごとく、人がみな同じお仕着せを身につけ、従順に歩く姿は
           かって、アテナイで民主主義が崩壊した図と同じです。人は考える生き物です。




           
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                       さかのしたのくも41

                                     2011年5月15日(日)


                                   
右弦のおぼろ月

おぼろ月夜
昨夜、八時半ごろ


カーネーション

残り香のカーネーション
母の日に買った。
水差しでも自由きままだ。

いのちは、いつも個性的だ。
自由にある。独りを恐れない。



             人の考え、態度を一つの方式へ仕向ける動きが、あちこちと芽生え
            蠢いているようだ。なぜだろう。この国が、停滞する一因となった新自由
            主義経済に引きずられたグローバリズムの波動が、人の心身さえも一つ
            の基準で判断するようになったのか知らん。おおくの人々が、低所得に
            追いやられ、その日暮らしの職に血なまこになり、やっと手にした職で得
            た糧が自由競争の証しなのだ。なにしろ自己責任だ。派遣労働の機会
            は各自の自由な成功への道、各自の努力が目指す夢の実現への機会
            なのだ。自由、おおなんと言う豊かな響きをもって人々へ打ち鳴らされる
            ことか。しかし、実際はまったく違うことぐらい、大概の人は感じていた。
             
             だが、誰に、どこへ文句をいえるというのだ。政治にしても、先行き不透
            明だ。ああ、きょうも疲れた、一杯ぐらい飲んでもいいだろう。せめてもの
            安らぎ、晩酌だ。はは、ああ可笑しい、面白い、ばかばかしいお笑いだ。
            ああ、ぼうーっとしてきた。もう一杯。はは、そうだそうだ、お前が笑わす
            とうりだ。なんて云う番組だっけ。みな同じに見えるから、いつもの奴の
            ギャグかどうかもわからないや。ああ、眠くなっちまった。またあすか・・・
            なになに、うんうんその通りだ、やるかやらないのか、そいつが問題だ。
            はっきり厳しく云う奴のほうが、なにかしらしっくりする。なんという奴だ。
            ああ、あいつか。うんあいつの云うとおりだ。そうだそうだ俺達はいつも
            苦しんでいるのだ。なにが奴等だけに自由があるというのだ。先生だろ
            う。礼儀を教える立場にある奴が、礼儀も弁えぬとは呆れ果てた輩だ。
            そうだそうだ条例か、規則か知れねえいが厳しくしろ。なにせ、おれ達に
            は自由など少しもねいや。胃袋の糧をみつける自由の他にはな。
                  
             ささやかな情報さえ、生活の現実の中身は語られない。放送媒体が
            一億総お笑いに迷走する図がどのくらい続くのだろう。どこも同じ様に
            見える。自由にあるようで、まったく全体一色とは何を語るのだろうか。
            そこには自由などありはしない。そこに見えるのは、自己喪失、知らず
            おぼえるその場の共通語が人に馴染み、人の考え、思考などない。
            ひとは他人が語る言葉に、自らの言葉をおぼえうなづくだけのようだ。
            言葉を無くした言葉などに自由などない。
            いまの世情の流れのなかでは、規律で人の考え、態度を制する事柄
            など、当たり前の一つのことでしかないようだ。
             人の貧困とまつりの貧しさの低迷が導く先は、どのようなものであるか
            歴史がよく照らし出している。
             統制された規律、礼儀が、格差を是正するかのようだ。生活の矛盾さ
            え権威に靡く。思考がまとまるのだ。もうあれやこれやと考える要はない。
            
            






             
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                       さかのしたのくも40 2号

                                     2011年5月3日(火)



             ある日、ひとはどさくさに紛れて云々と非難した・・・
            こんどは、そのひとがどさくさに紛れて、人の人権を制限するとか
            なんとかいったおぞましい法をぶち上げた。

                        

                  日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、
これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和うちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

             第十一条[基本的人権の享有]
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民与へられる。

             第九十七条[基本的人権の本質]
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

             第九十九条[憲法尊重擁護の義務]
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

            
            新しい日本にふさわしいものに作り変えていかなければ・・・・

             新しい人類の普遍の原理として打ち立てられた基本法に、いったい
            どれほど真剣に努力してきたのか。いま自国にふさわしい新しい指針
            こそ、この手にしている基本法にあります。ここには、新しい日本のみ
            ならず、世界の向かうべき道筋、展望がはっきりと示されています。
            これほど新しい日本、時代にふさわしい原理はありません。ますます
            輝いています。
             日本国憲法の前文の理念、人類の普遍原理に対する改変は許され
            ないものです。人が知れば知るほど基本法の命に対する畏敬の念が
            込められています。よしんば改正するとしても、今以上に人、命にとって
            より進歩の基にあるのならば、憲法の真意にそうでしょう。たんなる
            硬性、軟性の手続き上の問題などではありません。
            日本国憲法が包含する、人間の歴史過程から生まれてきた理念、
            幾多の悲惨、修羅場から自ずと生まれてきた肉声は、決して被い隠
            してはなりません。しかも、憲法前文のみならず、条文の随所で、
            人々の価値を貶める計りにある改正は否と宣言しています。
            人々は、真の意味での硬性について、人間のたどって来た道のり
            をおぼえ、しっかりと考えていくことでしょう。
             世界に貢献することとは、日本国憲法に忠実にあることにほかなり
            ません。新しい日本、世界にふさわしい展望が厳然としてあります。
            






            
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                      さかのしたのくも40
                       
                                     2011年5月3日(火)


                                  
昼咲き月見草

昼咲きの月見草

ちいさな淡い桃色の花だ



二、三日前、咲いているのに気がついた

季節を腹いっぱい表現するツツジ

ひたすら空を見上げる月見草




ヤモリが陽を浴びている 精気をつけているのだ

近寄ってもすこしも動じない 尻尾をつまんだらするりと逃げた

トカゲは敏捷だが ヤモリはおっとりしている

のたりのたりとあゆめよかし




先月中旬、正月の仏壇に供えた松を紫陽花

の鉢に挿した どうやら根付いたようだ

紫陽花には狭い寝床で迷惑なことだ



尖った葉は緑を保っている

もう大丈夫だろう 協奏か植え替えか




                  嘆きの声がする すすりなきが聞こえる

                  なにがあったから悲しむのだろう 

                  なにがあったから打ちひしがれるのだろう

                  あそこでは みなよろこびいさんでいる

                  よろこびのむこうになにがあるのだろう

                  かなしみをいやしてくれたか

                  むねんを晴らしてくれたか

                  にくしみはなんだったのか

                  かなしみ むねん にくしみ いったいどこから

                  かなしみ むねん にくしみ どこからきたのか

                  ひとつのかなしみ ひとつのにくしみ

                  ひとつのにくしみ ひとつのかなしみ

                  ひとつのせいぎ ひとつのうらみ

                  なぜ どこからうまれたのか きみらは






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                       さかのしたのくも39

                                     2011年4月30日(土)


                                   
アヤメ

アヤメが盛んである。

初夏の装いとなった。

アヤメ
                         

ポカポカ陽気だ

からっとした風が吹き抜けた。

青がやや萎れ気味にある。

高千穂

高千穂が春霞にたたずむ。新燃岳の噴煙はみえない。

一月の爆発から九十三日経った。
                   
                      2011年4月29日撮影

レンゲ

レンゲも今を盛りにある。

近頃では、田んぼいっぱいの群生が見られ

なくなった。 緑肥の役を終えたのか。

地力の回復は花肥えが一番だ・・・

除草

畔の除草。

春が色気立つ。




              でっち上げ事件の一審が確定したそうだ。特権に守られた特捜検事
             の犯罪が消し去られた。単なる偽装事件ではないはずだ。検察トップ、
             検事総長まで通じていた事件である。けっしてトカゲの尻尾切りに終わ
             らせてはならない重大な冤罪事件である。村木さんが、この事件処理
             における検察組織自体の不思議な行動を嘆かれていたが、こころある
             人々にはそこのところの事情が良くわかったことでしょう。 この事件が、
             渦中にある罪と罰を絡ませた完全な政治的意図にあったはのは明らか
             であろう。忌まわしい特高、日本版夜と霧の残影が、いまでも残ってい
             るかのようだ。

              朝日の記者がその前途洋々の命を、問答無用の凶弾に奪われてから
             二十四年になろうとしている、とあった。自国には、いまなを言論封殺、
             自己主張のためなら他人の命などなんとも思わぬ短絡的輩が蠢いて
             います。そうした世情をかもし出す動きは、なにもおどろおどろしい街宣
             車、狭隘な国粋主義、狂信的神国一統主義ばかりにあるわけではない。
             直接的な暴力ではないが、巷に喧しい御用雑誌、論壇雑誌、意識的
             世論形成・特定目的誘導の新聞媒体等の喧伝・煽りもその一つです。
             もうずいぶん前に記したことで、失礼な言い草になりますが、文筆、もの
             を書く仕事を生業にしている人は、ちったあ矜持を持ち合わせることでし
             ょう。その業にある人にとっては、出版社あってこその生い立ち、人的関
             係、実入りだから、そうそう己の信を通すことなど難しいことであるかも知
             れません。ましていい歳をした甘いも酸いもしった人生の達人と思われてい
             る、あるいは知らず思っている大人である。いまさら善悪など言いへつらう
             用もないし、世に彼是物差し、波風をいれるのは如何かなことか、といった
             あんばいであろうか。 それでも、ここと思うときには、路頭に迷うぐらいの
             気概がほしいものである。 数年前ある講演で、漫画家女史が、執筆して
             いた物語の筋が、何かしら出版社の編集方針に沿わなかったようで、いろ
             いろ執筆に対して、陰に陽に指図等があったそうだ。もちろん女史は、信
             を曲げるようなことはされなかった。
              人は時に高楊枝にあることが肝心である場面がある。
             人の終焉、死、言葉を換えれば悪魔の罠、メフィストフエレスの手管が勝利
             しようともその哄笑が辺りに響こうとも、所詮結果が同じ運命にあるとしても、
             不可解に生まれた命である。そのうえでなお、その命を辱めるものに対して
             は、一本どっこの筋を通したい。
             とまれお前は美しい。死ぬべきいのちであればこその大慈悲を感得した生
             への喜び、紛れもない人の正直な心の赴くままの感情である。かなしいこと
             ですが、果かない命、意識がたどり着く人間のどうしょうもない己の心で繰り
             返される、いつもながらの安心立命、人の心の処し方、存在に対するおおい
             なる倦怠・達観、人間の果てしない、その時々に在る人々の心に想起する
             観想の歴史過程にしか過ぎません。でも、それゆえ命にとって否というべき
             時には、ことに躊躇してはならない、と思います。
              まことに世を捨てるはすてぬこそ捨てるなり。ちいさな美より広い美へと。
             
              戦闘機より想像力で平和への歩み、といった主婦のかたの声(4月29日
             朝日西部本社版の声欄)があった。まったくそのとおりであると考えます。
             ともだちは、その善意と好意にこそあります。軍事同盟など関係ありません。
             軍事同盟を日米の柱とするのなら、そんな同盟などまったく必要ありません。
             人としての繋がり、兵器・基地等ではなく、人間としての繋がり、地球に住所
             を持つ者としての繋がりこそが、真の修好、友達にあります。どうして自国は、
             平和を推進しないのか不思議にあります。友達と考えるのなら、米国に対して
             君の方針は、すこしも進歩していない、歩むべき道は武力でなく言葉にある
             とはっきりとしめすことです。言葉を使えなかったら同じ道しか先にない。
              
              米国では、近い大統領選挙に向けて、ひとの出生までもが揚げ足取りの
             道具となっているようだ。確かに米国の基本法には、かの国に生まれた者で
             なければ、大統領の被選挙資格がないそうだ。だが、恥ずべき醜聞作りで
             ある。考えてもみれば、なぜ彼が上院議員に選ばれたのか、それこそ彼が
             まぎれもない米国人であるからであろう。 さもしき前哨戦である。
             もっとも、大震災進行中にある自国でもつまらぬ事柄に目くじらたてた争い
             がある。気をつけなければ、悪しき翼賛政府の誕生とあいなるおそれが
             ある。ともあれ、選挙民としては、なにをいままで主張してきた政党なのか
             本音はどこにあるのか注視してくことです。
             キーワードは外交では、友達。教育では、教科書にまともな戦争記述が
             復活するかどうかにあります。 何年か前、先の与党の文部科学省にあった
             大臣など、沖縄戦などの記述内容の欠陥検定(本来検閲でしょう)について
             公判中にあるから、集団自決の件のぼかし、削除など当たり前にあるといっ
             た文言にあった。 ところが、いま文部官僚担当者の言によれば、私人間の
             訴訟に関する問題なので、検定とは関係ないとのご託宣だ。あきれて物が
             言えぬ。戦争の事実が私人間のそれに消えるとは、許しがたい見解にある。
             思えば例の事件を提訴したのは、当時弁護士資格をもった与党議員、歴史
             を作り変える輩の人々であった。むじなの化け具合にはよく気をつけなけれ
             ばならない。






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                       さかのしたのくも38

                                     2011年4月26日(火)



               忘れたわけでもないのに、口蹄疫に感染した疑いのある牛が
             当市で見つかったそうだ。昨年来、畜産農家を初めとして、関係
             筋の多くが、日夜防疫体制の確立、消毒に努めている最中である。
             迅速な手立てが講じられることを願うばかりだ。

              災いは忘れたころにやってくる。そのことは多くの人が感じている。
             人は忘れる生きものに違いない。生理的にもそうなっているのだろう。
             いつまでも事を引きずっていたのでは身が持たぬ。涙が悲しさを洗うよ
             ように、ひどい心痛もいつしかなめされ記憶が薄れていく。
             でも忘れてようとしても忘れられない事柄がある。それらは時間が
             過去に消え入ろうとしている空間、人が過去にに時を置き去り歴史と
             してみていく空間に溜まったままのうめきだ。それでも、人々は逞しく
             それらの事柄を忘れていくかのようである。健忘症にあるわけでもない。
             人のまわりの時間が忙しく人々をアスへと促すからだ。それも作為的
             な忘却のはかりがある場合が多分にある。
              真珠湾を忘れた日本人という話が、日野原重明さんの<あるがまゝ
             行く>の私の証しにありました。このところ多くのマスメデイアで、12月
             8日の開戦日の報道がほとんど無かったことにがくぜんとした、といっ
             た趣旨で記されていました。原爆をもたらした悲劇、その因ともなった
             真珠湾攻撃に対する反省が少ないと嘆いていらしゃった。この話しから
             自国の健忘症のありようが窺えます。太平洋戦争の検証がされずに
             うやむやに今日にいたっています。その戦争へ突き進んだ原因は
             何だったのか、その時の体制、報道姿勢、特殊教育等々、そして
             おびただしい死んでいった人々の呻き。忘れたくても忘れられない
             空白地帯です。 今、この国の指導者達の年齢は、平均すれば大体
             六十五前後でしょう。最高裁判事にしても、おなじくらいでしょう。
             敗戦時生まれていたかいなかった人々が、国の中心にあることです。
             より事実に近い過去の歴史に向かうことが、必要な時間であることが
             わかります。ひとはもっと正直にならなければならない。
              ・・・2008年3月14日、日本の最高裁判所は戦中の横浜事件の
             事実無根と認めることを拒絶した。・・・・事実無根の犯罪をつくって、
             拷問と獄死をもたらした戦中の裁判は、不問に付されたまま戦後六十
             四年が過ぎた。戦時の判決の不当を、私たち日本人は背負い続けて
             いる。  この根もとにある罪は、戦後日本の歴史の変わらない特色
             である。・・・・(*)

              平和ボケはだれがしているのか、よく考えることであります。

              
                「あるがまゝ行く」日野原重明 2011年4月23日(土)朝日新聞より

             (*)「思い出袋」鶴見俊輔著 岩波新書より






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                       さかのしたのくも37          
                       
                                     2011年4月23日(土)



               人は誤りを犯す。しかも同じような事柄でしばしば起こす。
              もう亡くなったかもしれないが、むかし縁があって焼酎造りの
              杜氏の人と話すことがあった。薩摩半島の笠沙町の方で、
              野間池に、釣りに連れていってもらったことがある。渋い顔立ち
              の方で、骨太の体格をされていた。浜でとった魚を若造のため
              に、刺身にさばいたり、アワビを焼いたり、黒々とした鋭い針の
              ウニを割って食べさせてもらった。磯の薫りと寄せる波音が、取
              れ立てのご馳走を一層おいしくしてくれた。どんな話しをしていた
              のかすっかり忘れてしまったが、断片的な記憶として残っている
              言葉に、人はけっして絶対とか、完全とかいったことは言わぬ
              ほうがよい、と話された。ぎらぎらした若いもんにたいする諭し
              だったのかよくわからない。仕込みの時期には、醸造場に何人
              かの蔵子を連れて、寝る暇もなく麹づくりに専念していた人で
              ある。その長い経験からの言であったのかな、といま思う。

               見誤ってならないと思うのは、過ぎた時間の見直しである。
              とくに歴史の激動についてのそれだろう。あとの者にはなかなか
              人々が渦中にあった時分の世情をしっかと身に感ずることは難し
              いものだ。しかし、現在進行する時間の世情から、逆算して当時
              の時間を眺める方がよりその時分の頃を理解できることがある。
               例えば、ある責任だが、勃発してしまった事件に対する当時者
              のありようをどう判断するかだ。大本営発表の偽装された発表と
              その裏で画策された戦争遂行に対する軍国主義に追い立てられ
              た軍人の行動だ。ひたすら自国を破滅に導いた軍閥政府の責任
              だけにその誤りをみるのか否かだ。普通にだれでも理解できる
              ことは、国体を歪な精神主義の基に、皇国史観の護国体制に
              仕立てていった政府に責任が一義的にあるということであろう。
              それでは、その世情を軍国一色に塗りたてたのは政府だけであ
              ろうか。否である。知られているように、死に体にあった言論伝達、
              隣組制度、各種報国隊等々例に上げるに暇が無い。
              もちろんこれ等は、挙国一致体制を押し進めた、軍部独裁政府の
              脚色にあったことでもある。だが、そこにあって、そうした空気に
              乗った、乗らざるをえなかった人々があればこそです。
              個々人にも、責任はあったといえるでしょう。ただ、大部分の人が
              その空気に否と言えなかった、ということです。いま、善人顔の人
              が、ある時期には別人にあったことは、紛れのない事実です。
              けっして現場だけが騙されていたわけでもないです。
              だからと言って、一億総懺悔といった責任転換の意に捉えては
              亡くなった人々にたいする道義が立ちません。
               現在、ことあるごとに、特に重大な事件、政治的軋轢における
              自国の世情推移をみれば、徐々に過去の時間がだぶって見え
              てきます。喧しい週間言論、なにを煽り立てるのか妙な論壇誌
              、なになに日本といった短絡的口上等、特定世論形成に躍起で
              ある。なかには、確信犯的政党直属のプロパガンダと思える論壇
              ・週刊誌など、過去の鬼畜米英を呪文としたペンの成れの果て
              としか見えません。

               現在進行中の震災に対しても、その責任について、一人一人
              がしっかりと、自分の頭でよく考えることでしょう。けっして大本営
              の巨悪にだけ目を奪われてはならないと思います。
              また、言えることははっきりと言葉にしていくことです。責任を言う
              時には、現在の事態を招いた事柄に対する己の態度に重々思い
              いたすことも大事なことでしょう。
               人は誤りを起こすものです。なぜなのか、過ぎた時間を身近な
              ものとして見直さないからかもしれません。
              今回の大震災と卑劣な戦争との関係図を比べ眺めれば、どこに
              気をつけていかなければならないかが、少しは見えてきます。
              






              
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                       さかのしたのくも36

                                     2011年4月21日(木)



              汚染処理作業に携わる人々の安全管理が有効に機能していないそうだ。
             毎日新聞によれば、作業員の被曝線量を記録する管理手帳に、記録
             が必ずしもその都度記されていないとのことである。しかも、相変らずの
             被曝線量基準があいまいで、官僚的縦割り基準が人の命を翻弄している。
             こうした状態にあってさえ情報を集約化できぬまま、いたずらに情報出所
             にこだわった処理しかできぬ様は、悲しむべき自国の悪弊である。
             今後の人の命・健康を左右する作業である。それゆえしっかりとした被曝
             線量記録を残していかねばならないでしょう。大事なことは、下請け作業員
             を派遣している会社等は一番先に彼らの安全に気をつけなければならない
             ことだ。しかし、どうもそれが万全でないらしい。自国には伝統的作業手順
             がある。手差し確認だ。いまではどこの作業手順でも当たり前の点検事項
             であるが、危険であればあるほど、その手順の励行が必要だ。その前提と
             なる労働安全衛生基準が、被爆線量記録であるはずだ。

              





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                       さかのしたのくも35

                                     2011年4月19日(火)



               おくれて春一番が吹いた。タンポポがつつましく黄色に靡く。
              いつもより小さい花にみえる。かれはわかるのだろうか。
              とおくのなかまのかなしみが。なかまのいたみが。なかまの
              くるしみが。それとも近くのなかまに気を付けているのだろうか。
              火山灰のなかから生まれてきたのだ。ちいさいはずだ。
              かれもくるしかったに違いない。色をつけることは大変なことだ。
              おもいきり吹かれたまえ。おもいきり靡きたまえ。ちいさな色。


               とおくに無言の音色が震えていた。ふるえがとおくから吹いた。
              ひとつひとつ吹いて身をよぎる。あそこにも、またあそこにも。
              ひとつひとつの音が身をよぎる。あの人の手に、かのひとの手に。
              無言の音が大きく響く。あのいのち、このいのち、みなのいのち。
              なにもない。おとはますます遠くに遠くにひびく。なにもない。
              とおくに無言の音色がふるえている。なにもない。きっとある。
              おとがますますおおきく無言に響く。いのちあるかぎり。

                                 ズービン・メータの第九演奏会に寄す






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                       さかのしたのくも34

                                     2011年4月15日(金)



               夕べ、月は右弦に真上にあった。いまは天気がくずれ気味に
              あるせいか、星一つ見えない。なまあたたかい夜更けである。
              桜まつりは終わったが、不思議と雨がふらないまつりであった。
              いつもなら菜種雨が降り、しかも寒い日が続くのが当たり前である。
              今年は、まったく雨に縁の無い時節の移り変わりである。
              日南では、春の日照りに、早期水稲等に必要な水量を確保出来
              ずに、ダムの計画放水が行われたとのことであった。しかし、この
              ままいけば、飲料水等にも影響があるみたいで、農作物の植え付
              けばかりに放出できぬようでもある。自然の営みに応ずるのはなか
              なか難しい。山をもっと大事にしなければならない。杉など森林地帯
              にある地域でさえ、渇水を引き起こす。ひとはもっと身内の自然を
              我がこととしなければと思う。都井の岬では、野生馬の疫病が発生
              した。乾燥と関係はないのか知らん。

               多くのものに囲まれ、身を助けなければ、自分の足で立つことが
              難しいようにみえる。芯があってこその巻きものである。
              だからといって、旧い芯などはさらさら御免蒙る。さんざんくにをいた
              めた芯など、どこに新しさがあろう。ひとびとのじれんまがそこにある。
              会の衆議のみなさんには衆知であってもらいたい。自国には未来を
              展望する礎、基本法があることを肝に銘じてもらいたい。それを疎か
              にした復興など貧しいものになろう。いのちあっての再興、繁栄であ
              る。世界にこれが人々の歩む道だと確固とした展望と自国の和に徹
              した責任を示すことだ。
              






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                       さかのしたのくも33

                                     2011年4月13日(水)


むくどり

むくどり

むくどり

つがいがどうか分からない


                       「さばかりの事に死ぬるや」
                       「さばかりの事に生くるや」
                       止せ止せ問答                                                                          
                                      啄木


                       たんたらたらたんたらたらと
                       雨滴が
                       痛むあたまにひびくかなしさ
                                     
                                      啄木

                       世わたりの拙きことを
                       ひそかにも
                       誇りとしたる我にやはあらぬ

                                      啄木


                       目をさまして直ぐの心よ!
                       年よりの家出の記事にも
                       涙出でたり。

                                      啄木

                                石川啄木「啄木歌集」岩波文庫より


                  四月十三日午前九時、石川啄木君死す


             初夏の曇りの庭に櫻咲き居りおとろへはてて君死ににけり
                 
                                             牧水

              午前九時やや晴れそむるはつ夏のくもれる朝に眼を瞑ぢてけり

                                             牧水

              君が()は庭のかたへの八重櫻散りしを拾ひうつつとも無し

                                             牧水

                                 若山牧水「若山牧水歌集」岩波文庫より



               ・・・戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。
               早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも
               不正義の平和の方がいい。・・・・

               ・・・それにしてもピカドンが落ちる前に降伏することは
               出来なかったのか。いや、ピカドンが落ちたから降伏する
               ことになったのだ。しかし、もう負けていることは敵にも
               分かっていた筈だ。ピカドンを落とす必要はなかったろう。
               いずれにしても今度の戦争を起こす組織を拵えた人たちは・・

               ・・・「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹
               でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」
                どうせ叶わぬことと分かっていても・・・・

                                    井伏鱒二「黒い雨」新潮文庫より 



               ・・・この三月の東京大空襲のあと、半年も経たないうち、日本
               は降伏。やっと戦争が終わった。思えば私たち日本人、その後
               つぎつぎ大きな災害、苦難に襲われ、その都度厳しい状況を
               克服、立ち上がってきたのだった。日本はそういう国なんだ。
               偉いものだと思う。しかし、よくよく考えてみると、このうちの
               一体何割が人災だったのだろう。

                                    吉田秀和<音楽展望>
                               2011年4月12日(火)朝日新聞西部本社版より
               



               ここ二三日、夜分空震が続けて起った。ひょっとして
              と思い新燃岳のある夜空を見たが、火柱の影すらなかった。
              どうやら、桜島の噴火のせいらしかった。このところ桜島の活動
              が活発化しているとのことである。
               むかしを語ることの出来る人たちが少なくなってきた。というより
              口を噤まれたままにあるといったほうがいいのかもしれません。
              痛みは当事者でなければ、ほんとうのところはわからないでしょう。
              しかし、少しでも、語られるようならば、後の人へ克服してきた困難
              経験など伝えていってもらいたい。敗戦後の復興には、人々の懸命
              な努力があったことです。でもその復興の影には朝鮮戦争勃発によ
              る特需が、大いに預かって余りあることでもありました。もちろん
              自国の勤勉さが、その動きを吸収しうる力があったればこそです。
               黒い雨にながれる坦々とした人の営みに起きる悲劇、普通の人の
              ふつうの哀しみが描かれていました。絵が静かであればあるほど
              そのかなしみが胸底をつきます。 音楽展望の静かな語りを目にし
              て、人の抑制されたいぎ申し立てをおぼえました。・・何割が・・・
               今回の大災害は、他国の血の犠牲によらずに、みずからの意志
              で復活できるかが問われています。先日も送信しましたが、自国に
              は、今後の進むべき道、展望がはっきりと記された基本法を保持
              しています。あとに続く子ども等のためにも、和の灯りをはっきりと
              前に灯し、世界の人々へ日本本来の姿を示すことだと思います。






  
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                       さかのしたのくも32

                                     2011年4月10日(日)



              昨夜十時頃地震があった。十秒程度ゆれた。ニ日前、東日本
            大震災以来各地の火山が活発化する傾向にあるといった伝があっ
            た。地殻プレートが大きくずれ込んだのだから、そのこじれた摩擦熱
            は計り知れない量であろう。地下流動物体へ少なからぬ影響がある
            のかも知れない。先に、豪州の学者が、今回の自国の強大地震が
            ニュージーランド沖の地震と関係があると、地殻とマントルのズレを
            指摘し、その地殻の繋がりと連続性を分析していた。地球はいまもっ
            て活発な熱量の動きにあるのだ。この地球は、おおかた、地球自体
            の寿命の半分くらいの途中にあるといわれている。だからといって、
            人間種が、地球の寿命をいっしょに全うできるとは限らない。あと僅
            かな時間、せいぜい二、三万年しかないのかもしれない。それでも、
            残り少ない時を打つ核時間からすると随分と長い刻みにある。でも、
            それは、人間が愚かな核兵器を廃棄した場合であっての二、三万年
            だ。 昨夜、またイスラエルの報復爆撃があったそうだ。人間の不明
            が続く。いま紛争地にある人々を自国に呼びたい。なぜいま人は在
            るのかと。いそがなくとも終わりは確実に訪れるといってあげたい。
            短い命をなぜ玩ぶのだといってあげたい。君は歴史をしらない、君は
            神をしらないというだろう。その神はどこから生まれたのだろうか。
            かみが唯一だ。では、この地球はどこから生まれたんだい。どこから
            うまれたから君等とわれわれはこうして今地球にいるんだい。どこの
            国にも神々はいる。その神様達の世界ではだれが唯一かなんて
            議論なんかしないだろう。ちっぽけな地球がなかったなら、君等と
            我々どころか、神々さえもいないんだぜ。争いに隠れてはいけない。


             自粛なることも、いいきかせないといけない世情になったようだ。
            ひとびとが、自然にそうなるのならそうであってもいいだろうに。
            嫌ならそれぞれしないだけの話である。お上、マスコミからこうせよ
            ああせよといった場合ではないはずだ。経済の活性化は人の暮らし
            ぶりまで言い聞かすことではない。なにも暗い毎日をみなが送って
            いるわけではなかろうに。我が家は、いつも貧しくある。立ち上がれ
            と煽られ、懇請されて、懐事情に余裕が生じるわけでもない。
            だからといって老婆と老息子はいつも笑顔に過ごしている。夕飯の
            終わったあとで、息子が手を上げ、足を斜めにゆっくりと踊り、認知
            の母は手を叩いて椅子のまま踊りの仕草で応える。ささやかな短い
            食後の運動である。 これが我が家の活性化の一つでもある。





            
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                       さかのしたのくも31


すみれ

すみれ

        2011年4月9日(土)


              子供のころ駐留軍兵士へ、お菓子等をねだっていた腕白小僧にあった
             自分の姿を思い出す。家の前のこぎれいな婦人のところには、よく米兵
             がジープで寄っていた。そうした時、どこで嗅ぎつけたのか、洟垂れ小僧
             共が、ヘイ ヤンキー キャンデー キャンデーとよってたかってせがんだ。
             兵隊は、にこにこしながら持ち合わせのお菓子等を我々に与えてくれた。
             とにかくおいしかった。近くでみる異人の恰好が珍しかった性も手伝って
             チンプンカンプンの手振り身振りでカイワを遊んだ。彼らもまた、まわりを
             取り囲む敗戦の子ども等に、好意を与える楽しみ、心にくすぶる善意の
             衝動が入り混じっていたことだろう。
              
              多くの人が感じていることですが、自国の震災に対する各国からの多
             額の支援金、支援物資、支援活動、慈善活動等を目の前にして、ひとの
             善意・好意を強くおぼえることです。なぜだろうか、好意、善意はその多く
             が無私の心持に通じるからであろうか。作為があったとしても、人の救済、
             復興への目的がその主なら困難を越える大きな支え、力にはなります。
              戦争では、このような好意が各地から寄せられることはありません。
             その復興にあっては、戦時中よりは好意的支援が多くなることはあります。
             だが、惨禍当事国、その関係周辺地域では、憎しみが植え付けられあと
             あとまでもその傷が心の襞に残る。当事国では各国の思惑に敗戦後の
             道筋、展望が翻弄され続けます。 また、誰もが知っており、いわれる事
             ですが、戦争は人間の欲、国という欲望の葛藤です。そこには、言葉と
             いう人間が生んできた考える力の手段の放棄、国家の言葉である外交
             力の放棄しかありません。 
             自然の引き起こす災害は、少しの欲望もなしにその自然生理だけに忠実
             に、自然の一部でしかない人間、環境へ常ならぬ強大さを知らしめます。
             小さな地球の生成活動、ダイナミズムの一つでしかない生理活動が、そこ
             に在るさらにちっぽけな生きものを玩びます。それも善悪・欲望なしに
             ひたすら地球自身の精力消費過程にあるだけです。              
              なぜ、甚大な罹災に対して、人々の好意・善意が集まるのか、大体理解
             できます。人の力では、人々の生まれ故郷でもある小さな地球の寝返りに
             さえ、決して抗えられないということを、あらためてしるからでしょう。
             人の卑小と自然の強大との間では、人の協力・共生がますます求められ
             ていることが、おのずとわかるからでしょう。 
              本来、国と国といった概念からとっくに抜け出ていなくてはならない人の
             歴史時間的経過にあるはずですが、残念ながらまだまだ、人の意識は
             その一歩手前で逡巡したり後ろをみたりと錯綜しています。ありふれた言
             葉でいえば、考える力の相対的時間経過の違いといえるかも知れません。
              今回の罹災からの復興は、一歩先の時間へとつなげる過程になければ
             ならないでしょう。その過程へ舵をとることは、自国にあってこそ可能だと
             いえます。けっして過信などではなく、自国にはすでにあたらしく生まれ出
             る基が厳然としてあります。 友好は、各国と言葉を尽くしてその外交とす
             る。友達は、軍事同盟をその友好とする軟弱な言葉としてでなく、この地
             に在る脆弱な命を基とする各国との連帯、平和を堂々と推し進めることに
             その意があります。力を背景にした友好など、いま現場における善意、
             好意の行動とは程遠い過程を繰り返すだけです。 
              人間が作り出した最大の誤謬である核兵器の恐ろしさを身近に知って
             いるのは自国です。普段は殆んど忘れられたかのように世界では平安
             にある様子ですが、今回の深刻な原発事故に対する世界各地の放射
             能汚染に対する反応ぶりは、いささか矛盾めいたものも感じます。しかし
             よく理解できます。実際その危険はどこにあっても同じです。海水へ
             放出される原発汚染水、海中へ低レベルの汚水として原潜等から放出
             される核汚染水など、しっかりと各地の人々はしる必要があります。
              復興への道のりは遠いですが、この過程を後の人々に曙のであったと
             いえるようにすることが、自国の責務でしよう。やりがいのある道です。 
               
              ともだちは、ちっぽけな地球と共存する命の好意・善意にこそあります。






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                       さかのしたのくも30


紫陽花

紫陽花が芽を出した。

         2011年4月5日(火)


              報道媒体がすべきことは何か、といった基本的姿勢が見えてくる。
             収集した情報をどれほど事実に近く、理解しうる限りの範囲で人々へ
             伝播しうるかに、その存在価値がかかっている、といっていいだろう。
             さいわいなことであるが、いま、かっての大本営発表に類する内容の
             報は、一部を除けば(それも善意に解せばいいのだろうが、有事という
             言葉は精確に見ていく要がある)ほとんどない。 
             原発の報道に関すれば、NHKの科学関係の解説委員の姿勢は出来う
             る限り知り得た事実を、いま生起しつつある事象の流れで的確にその意
             味合いを伝えようとする姿勢が感ぜられる。
              
              シミュレーションは、事実の生起しうる事柄を多角的に予想、予知する
             ことであろう。本来の安全策は、それが未体験であればあるほど、事態
             のあらゆる生起可能性を見極めてのそれであるはずだ。一機関の見方
             とする態度は、本当に資料の見方、分析が解っているのかといった疑問
             さえ浮かぶばかりか、それ以前の事の真相に対する真摯な態度の欠如
             さえ覚えるのだ。
              すでに大量の汚染水が海水へ放流されている。単に自国の問題だけ
             ではない。測定値は葉っぱに付着した一件にすぎないといった愚かしい
             言葉は使わないほうがよい。海水で融和して人に接するときには問題な
             い。 これらの言い草のどこに問題があるのかよくわかる。

              
              火事場泥棒といった政治家があったが、渦中に紛れて重大な事件が
             消し去られようとしている。しかも、身内の件である故か、不起訴処分で
             幕引きと相成りそうだ。検察頂上まで伝わっていた事件である。
             厚生労働省の幹部女史を足場に、一気に例の罪と罰の人士に絡ませた
             疑獄事件として惹起寸前までいった、検察特捜部の特異な事件であった。
             ときの政権与党を風前の灯に追いやったしだいだ。
             その筋の大方の目論見は達したようである。手の込んだ世論操作にみえ
             る。だが、これが、其の日暮の週間紙連中と相俟って世情を惑わす自国
             のさもしき一面である。司法権力の独善を許してはならぬ。

             
              検定時期とあいなって、いろいろ隣国との軋轢が渦巻く。
             戦火から敗戦にいたる記述がおかしげな調子に次第に恒例化するのを危
             ぶむ。 最高裁の審査基準が、本当に過去の狭隘な政治体制に対する
             批判眼からの、人にとってなにが真にあるかにそった判断にあることを
             願うばかりだ。そうした先入観にあらずとも、いま一度よく前文からしっか
             りと遂次条文にあたってもらいたい。外交官僚等関係筋出身判事はなお
             さらである。
             






               
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                       さかのしたのくも29

                                   2011年3月29日(火)


               まるでなにも無かったかのように、危機的状況が推移して行く。
              直接的に厳しい状況を知りえる立場にある人々の中では、それが
              どれだけ切羽詰ったものであるか良く理解していることであろう。
              だが、起きている事態の静かな拡大と人々への確実な危害の波紋
              の広がりとを同時に思考することに、平衡を欠いていたように思
              える。 しかし、まだ遅くは無い。非常な事態の推移は遂次詳細に
              迅速に人々へ伝えることだ。優柔不断こそ危機にあっての最大の
              足かせとなる。  近いところでは、当県で発生した口蹄疫顛末を
              みればわかる。いかにトップが率先して直ちに初期動作にあたる
              べきかを教えていた。また、敗戦が確実にわかっていても、維新後
              特異な形で頭をもたげた特殊史観にそい、歪な精神主義に浸った
              軍閥政府の終戦への逡巡こそ、沖縄の人々の自決、各地に甚大
              な被害をもたらした膨大な焼夷弾の雨、とどのつまりが広島・長崎
              の悲劇となって、自国の地と人々を戻らぬ時にはりつけだのだ。
               取り返しのつかぬようなことが起る可能性のある事態の推移の
              中で、さも安心であるかのような情報の仕方は避けるべきだろう。
              危険な事柄を既定の範囲にあるといった、偽装的表現は不要だ。
              人々は馬鹿ではない。何が危険であるかは、よく知っている。
              風評、風評といった言葉さえ一つの既成言葉、当世流行語に変わ
              る。挨拶代りといった次第である。 人並み一列見方から、ことの
              真相、中身を直裁に知らなくてはならない。事実を避ける要はない。
              平衡感覚のある関係当事者であることを願う。

           
               菩提樹が、すんだ音を聞かさせくれた。ひっそりとした寂しい
              道のりながら、行かざるを得ない人の性が歌われていた。


               草の根レベルのつながり、弱い人々の連帯を背骨にした平和へ
              地道な活動を続ける人の話しがあった(FM再放送)。
              山下泰裕さんだ。柔道を切り口に少しでもさまざまな国々の軋轢や
              相互不理解をなくそうとする活動であった。
              イスラエルとアラブの子ども同士の柔道を通した互いの理解、発展
              途上国での活動などいろいろな話があった。南京の人々は決して
              反日的ではないといったことなど、その人のすっとした姿勢にたった
              言の葉は、試合における場面とまったく同じだ。加納治五郎は英文
              で日記を付けていたそうだ。総合的な目を保持した人であったので
              あろう。礼に始る柔道の意を異文化の人々に少しずつ理解される時
              ほど、山下さんにとっていまある道の確かさを覚えさせることはない、
              そう感じました。自国に流れる独自性、伝統が生きている。





              
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                       さかのしたのくも28

                                   2011年3月27日(日)


               感覚的にしか聴くことのできぬ身なので、難しいことはわからない。
              でも、三つのソナタを聴くとあらためて人の凄さをおぼえる。
              こうした時期に黙って聞ける環境にあることの幸せと、こうして綴る
              欲にある己のさがをどうしょうもない人間の自己の偽善とさえ感じる。
              しかし、ソナタはそんな小さな心惑いから人をすくいあげてくれる。
              曲の解説によれば、作品111が完成したころは、作曲者はミサ・ソレ
              ムニスの創作に着手していたとのことである。 一週間前に、FMで久
              しぶりに聴いたモーツアルトのピアノ協奏曲が、きれいな感傷的な澄
              んだ音を聞かせてくれた。むかし、東京の三越劇場でみた映画の主題
              曲として流れた短くも美しくといった調が、すぎた時間を思い出させて
              くれる。どこまでも澄んだ響きと、111の響きとは全く違うが、この曲
              は、それまでの全ての音を束ねて人のおおいなる終結へと向かう
              道程を表現しているかのようだ。解説では、この三つのソナタは、人生
              という長い旅を、象徴しているのだ、輝かしい静寂のうちに幕を閉じる
              旅をと。 四、五年前、自国の著名な音楽評論家の方が、111の演奏
              会の評を新聞に記されていましたが、まったく同様な感を覚えます。
               あの人は、いまもアフガンで灌漑土木工事等に従事されているのか
              知らん。あるいは自国で次の準備にあるのだろうか。今回の大震災を
              前にしてさぞやもどかしい感にあるのかもしれない。モーツアルトを聴く
              のが心の慰めだと、本で話されていたが、109~111のソナタも人の
              魂を言い難い静寂へと導きます。もし、また彼の地へ行かれるのなら
              今度はこの曲も携えていかれたらと思います。静寂のなかに消え去ろ
              とする聞こえない音に、やがてかわいた力さえおぼえることです。


              
              
                             
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                       さかのしたのくも27

                                   2011年3月23日(水)


               社内に留まっているぶんなら、そう取り立てていう事でもないが、
              ここの企業文化は自己の意思が社会にあってもそうあるべきだ、と
              いった思い上がりがあるようだ。系列会社全体がその社主のご意
              向にびくびくしながら従い、柔軟な提言、助言さえ口出しあいならぬ
              雰囲気に見える。例の系列スポーツ媒体が、放言退官人士の後ろ
              楯でもあったことでも、ここの現象への対処のしかた、報道の仕向け
              かた、そのヒステリックな出身言論女史、核保持を唱える議員女史
              など、その文化の影響は枚挙に事欠かない。呪縛から脱した運動
              選手ののびやかな自由な発言を耳にするとその感が強い。在籍中
              はとても意見の言えたことでは無かったのであろう。


               ちいさなイルカが救出される報道写真があった。津波が田んぼ
              まで追いやったのだろう。イルカは海に放たれたとのこと。無事に
              仲間のところへ帰り着けばよい。しかし、イルカにとっても前途多難
              だ。体力の弱った場面で、サメ等の天敵と遭遇しないことを願うばか
              だ。 おなじ県で、その首長は放射線測定はしないとの言があった。
              風評被害をさける目的であろうが、本末転倒だ。意図ある情報操作
              は、目の前の重大な事態を招くばかりだ。結果として多くの地域へ
              予期せぬ風評をもたらす。正確な情報の知らせがあってこその安心
              である。育った出身組織の染み付いた情報管理意識が残っている
              とすれば危うい。危難にあって、取捨の難しいところだろうが、全体
              を見据えての判断にあってほしい。






                      
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                       さかのしたのくも26(その2)
                               

                                   2011年3月21日(月)その2


                      行春や鳥啼魚の目は泪
                                         芭蕉


                ふるさとを已む無く離れる人々が増えている。
               断ちがたい思いであらう。若い婦人が、家のあったところで
               子どもと夫を探している時、記念樹がしっかりと根を残していた
               そうだ。梅であった。家族で桜にしようか何にしょうかと思いめぐ
               らされていたおり、子どもさんが梅と一言ったとのこと。
                いつもなら、別れの季節だ、物悲しくまた初々しい出立の時分
               でもある。     人よぶこえの寂しさよ


                今朝の朝刊(朝日西部本社板)に、素人の腑に落ちる解説を、
               といった趣旨の記事があった。ご自身も震災を経験された方で
               おおかたの人々の偽らざる心情が表現されていた。短い稿の
               なかで、今起こっている事柄に対していろいろと考えさせられる。
               記事とは異なるかも知れませんが、一つ一つの話が美談となる
               傾向への留意もあることだと感じます。美談よりきれいな心やり
               があれば良い。主権在民対権力の構図はいつでもあります。
               おきている事象はしっかりと受け止めつつ、昂ぶった伝達の
               仕方、危うさを過去の時間から学ぶことでしょう。


               *新聞記事欄は、<つぶやきに耳をすます> 松原隆一郎さん




               
                       
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                        さかのしたのくも26


                                    2011年3月21日(月)


                  つめたい つめたい ああさむい ばあちゃん

                  ふるえる ふるえる ああこごえる ばあちゃん

                  みずだよ みずだよ ああもうない ばあちゃん

                  あかりだ あかりだ ああひとだ  ばあちゃん 








                
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                        さかのしたのくも25


                                    2011年3月19日(土)


               混乱した事態の中にあっても、我々が確認して学んでいきたい
              ことがある。天災時における人々の善意である。それは反目する
              地域、国々にある時でさえ、多くの人々が目の前の惨事に対して
              素直に災害克服への協力を惜しまない。 ノルウェー首相の来日
              は自国の直前の震災のため、その訪問が中止されたようだ。
              その首相の会見記事が十日程前の新聞記事にあった。
              ノルウェーと露国の長年にわたる領海問題の解決への努力が
              語られていた。首相の話しの要点は、互いの譲歩と信頼感の醸成
              が、答えを引き出す指針だったとのことである。自国の隣国との
              紛争の火種の問題に対する処し方が暗示されていた。
               互いが正当性を主張し、相手に対する非難を繰り返すだけでは
              問題解決への道筋など立つはずがない。まして力を誇示し、威嚇
              することなど、一層解決を遠ざけるに如くは無い。愛国心なるもの
              は何処にあってもあるものだ。頑迷な国粋主義もまた何処にもある。
              これなど自ら解決しないことがその目的となっている。
              力と力の対峙は、少しの進歩もみれぬ人間欲の浅はかな撞着で
              ある。話すことをためらうのは愚の骨頂だ。将来を見据えた見識
              ある外交力が、いまこそ求められる。
 
              
               支援人員が不足のため、一定の条件にあるもと自衛官の招集が
              行われたようだ。確かに隊員等の救助人員が不足しているのは
              わかる。だが、こうした召集は厳格な基準が必要だ。目的が天災
              等自然災害にあることに限ってでのそれであろう。そうでなくては、
              法、規則の濫用にあたることを没却してはならない。必死の支援
              行動にあたる隊員であるが、招集が、かっての赤紙に変ずるのは
              避けねばならぬ。一つの事象をきっかけに、しらず悪しき轍を踏む
              ことがあってはならない。これまでどれほど法の基本がその本筋
              で捻じ曲げられてきたかを覚えることだ。

             
               切羽詰った独裁を封じ込める作戦が開始されようとしている。
              だが、直接的な力の行使はさけることだ。独裁者が白旗を降り始
              めた様子も伝っている。まづは、周りの監視と、民衆の保護優先に
              努める必要がある。また独裁者に対するアフリカ諸国の強い糾弾
              の声を大きくすることだ。特に傭兵に対する各自国への強い帰国
              の呼びかけだ。まさか彼らの血の代償が重要な外貨獲得の一つ
              になっているわけでもないだろう。西欧諸国の暗黒大陸の意識
              から自力で脱出しなければ、人・地の砂漠化はますます早まる
              だろう。もういい加減に目を覚まさなければならない。血で血を
              洗う愚かさは、宗教的専制と呪詛が蔓延るだけだ。こころある
              アフリカの民衆の頭の決起の時だ。



               零時半ごろから、消防士による放水が再び始まったそうである。
              安全に時間が推移しますように。気をつけて下さい。






            
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                        さかのしたのくも24

                                    2011年3月18日(金)

                
               起った経過は仕方が無い。だが、いまでもいい方向への手段は
              ある。被災者の少しでも安全な地域への移動だ。これ以上数字での
              安全、不安払拭はいわぬほうがよい。受け入れ態勢が整った地域、
              被災者の心情にそった希望を勘案して、着実な避難対策がいま必要
              であり、実施されて然るべき時だ。見誤ってはならぬ。気力だけでは
              何一つ解決はしないどころか、一歩の決断力の不足が甚大な被害へ
              と地域を導く。何回も言うが、専門家の分析と、人々の被害回避とは
              全く違う。一緒くたにするから、初期脱出さえ難しくなったのだ。
              判で押したようなその時々の安全圏マークではなにも解決しない。
              起きている事実に対して、杓子定規の判断はかえって危険にある。
               二次災害の拡大防止にあたる人々は、危険の真っ只中だ。十分な
              情報と、的確な判断行動にあることを願う。

               NHKによれば、一家族が、宮城県から当県へ避難先として向かわれ
              たそうだ。どうぞ安心していらっしゃい。貧乏県だが、現実的にあれば
              食うことはできます。仕事もなにかあるでしょう。かぼちや、芋がらが
              おいしいです。





                
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                        さかのしたのくも23

                                    2011年3月17日(木)

                救援活動がそれぞれの面で懸命に行われているようだ。
               被災地の方々、支援の人々の疲労も相当なものであろう。
               行政も、いろいろと試行錯誤にある。だが、その行動過程は
               従来のそれと同じようである。どうしてこんなにも指示連絡
               系統が複雑に交錯するのか、自国の官僚組織の良くも悪しく
               も、そのありようを浮き彫りする。突然、文部科学省の放射線
               量の計測班といえる組織が唐突なかたちで、その計測結果と
               ともに、官房長官の説明で示されわかった。 あらためて、
               官僚組織の意味と実体に目を向けさせられる。よく指摘される
               立て系列の弊害である。横の連絡等無いかのような組織で
               ある。これでは、いくつの省があっても、堂々巡りに終始する
               はずで、無駄な過程がそれぞれにある。従来、大企業でも
               その悪弊に巨体を沈ませていた。その意思決定過程が改善
               されたかどうかは知らない。ただ、改善が人の無機的道具化
               を促進したのは間違いない。 いま経済産業省の保安院の姿
               が、二番煎じに写る。一方、文部科学省の計測班の動きも解
               せない。なぜ貴重な国税をいくつにも交叉して消費する活動
               にあるのか、懐勘定がしっかりとできていないように思える。
               元締めであるはずの政府の仕分け管理力が不足している。
               緊急事態の対処は、組織の横断が不可欠だ。そのためには
               日頃から各組織の長所を結びつける横のチームが必要だ。
               普段、部員は各組織にあればよい。だが、いま起こっている
               災難の折には、直ぐにそのチームが困難に対処する柔軟性を
               もって対処すればいい。人員のあらたな補充は必要でない。
               いまある力を、集中的に発揮していくのだ。
               経済産業省はよく知っているはずだ、彼らの得意な経営管理
               用語でいえば、タスクフォースだ。知識の持ち腐れは望まない
               だろう。少なくとも横の連絡なしには、官僚組織の活性化はない。
               

                素人が言わなくとも、放射線医療関係の方々にはすでに、
               その対処は自明にあることでしょうが、是非、各人々の放射線
               被曝の経過を詳細に記録していってもらいたい。事態が良好に
               推移していくとしても、今後十年二十年単位で、それぞれの人々
               の経過、平時の定期的検診が必要でしょう。あとあとになって、
               原因究明ができないといたったことがないようにお願いしたい。
               懸命な努力、治療、検診にあることは重々わかっています。
               ただ、それは原爆被爆国としての最低限の活動であるとともに、
               将来に対する我々の責任でもあると思っています。そのために
               も、政府厚生行政の継続した的確、機敏な役割対応を望む。
                被災地では、新たな命の誕生が続く。わかるはずだ。
               

               




               
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                         さかのしたのくも22

                                    2011年3月16日(水)


                   名をかかげ父母みなどこと子やかなし

              報道写真にあった健気な男児の姿に無力を覚える。
             きょういまも父さん母さんと皆を探し、被災者の中にあるのだろうか。
             

              今朝の放送によれば、南相馬市等へ、政府、県等からの情報
             は一切入らないとのことであった。現在もそうなのか定かでないが
             考えられないことである。是非、要請のある食糧等や、防護服等の
             早急な手当てが必要だ。もちろん他の地域でも同じことだ。






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                         さかのしたのくも21

                                    2011年3月15日(火)

              想定外の時間を経てニ三人のひとが救助されたと放送があった。
             既成概念も時間の作る一つの過去、経験、今の事実を積み上げた
             ものであるのだろう。罹災にあって、72~5時間が命の分岐点でも
             ないことを知った。そうであるなら、他にも生存の可能性はまだまだ
             あるはずだ。救援のみなさんには大変なご苦労をかけ、また疲労だ
             ろうが、いま一歩丹念な捜索支援活動をお願いしたい。
              救難に際して人々の温かい善意が自国のみならず世界のあちら
             こちから寄せられているようだ。この根が全ての困難、災難、愚かな
             権力欲、不条理な戦争への否として地道に根付いていけば良い。

              聞けば、当局の指図があったようで、最悪の場合の避難所として
             100室強の宮崎県県営住宅の部屋が確保されたとのことであった。
             おそらく、他の各県自治体でも同じ行動にあるだろう。賢明な判断だ。
             優先順位の選択のなかでの行動であるが、忘れてならないのは
             鳥インフルエンザの感染が依然として続いている点も気をつけておく
             必要がある。千葉では鳥インフルエンザの影響が心配されているそう
             だ。災難が一緒くたになって襲い掛かっている感じだが、自国の多く
             の人々は、けっして他人事とは思っていない。身近なこととして助け
             合いたいと感じています。
             
              

              戦後、ポピュリズムの元祖みたいな人物が、今起こりつつある災害
             に対して、天罰と吐いたそうだ。吐く主が吐く主だからことさらなにも
             いうことはないが、核兵器を保持すべきだ、それが交渉力といったも
             んだといった独特の大衆迎合宣伝文句をならべるから始末が悪い。
             しかも、東京大空襲の慰霊において平和の言葉をつかった主である。

              がんたれが はんはなぬゆちょっとか わかっちょっとか
              
             自国には、世界に誇る基本法がある。これ以上の独自性、理念は
             ない。その理想・理念を踏みにじるのは、きみらのこれまでの我欲で
             はないのか。偏狭な独自性など、都合よく並べる自由・博愛・平等と
             は相容れないものだ。
             アイデンティティーは、きみの我欲からでてくるものではけして無い。
             
             
      
              



                         
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                         さかのしたのくも20
                         

                                     2011年3月14日(月)

               どうして早急に避難地域の設置準備、避難受け入れ場所を全
              国各県へ依頼しないのか、全く目の前の現実を把握できぬようだ。
              事実は、紙一重にあると認識して、20キロ圏外への避難でも追
              いつかない事態なのだとはっきりと示すべきだろう。抑制された
              落ち着いた状況判断の素振りの情報開示で、一時糊塗する発表
              は徒に被害を拡大するだけだ。すでに二次災害、きつい言葉だが
              すでに人災の段階に入っていると認識することだ。現地の人々、
              救済支援の人々への危険は徹底して周知すべきだ。被爆線量の
              数字で人心を惑わさないことである。一年間と一時間とは違う。
              専門家の見方と、避難の時期とは全く異なる。避難は早ければ
              早いほど良いほうに決まっている。しかも相手は目に見えぬ放射
              線だ。いたずらに右往左往する必要はないが、一歩先の安全、
              最悪の場合を見通すのがまつり、当事者企業、専門家の役目だ。
              全国の自治体、人々は、いざという時の避難受け入れ場所に
              ついて、被災者のために真剣に考えることである。
               
               国の消防関係からの依頼により、当市からも消防署の給水車
              が応援に向かったそうだ。医療関係筋はすでに現地で活動して
              る。給水車は、福島県にむかったとのこであった。ああ、と妙な
              気持ちが胸内に振れた。当地の人間にとっては、福島は会津
              若松の印象でそれぞれにある。戊辰の役で会津の人と相対した
              なかには当市出身の所謂官軍にあった者もある。私心の考えで
              語るには失礼にあたるが、自分も感情の人間である。会津を
              思うとき、血に無意識に流れる南北の記憶が残っている。
              それは、場所と時も違うが、フォークナーに流れる南北の意識に
              似たようなものだ。また、当市は例の島津の発祥の地にある性か
              余計に会津の方々に対する複雑な思いが強い。当時の若い人々
              の惨い殺し合いが空しく浮かぶ。
              給水車の派遣先は定かでないが、なんでも相馬とかなんとか
              NHKの地方局が伝えていたようだ。安全に気をつけて、充分な
              支援活動をして下さい。






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                         さかのしたのくも19

                  
                                      2011年3月12日(土)

               混乱した状態のなかでの見舞い言葉は、励ましにもならない
              のでしょうが、互いに助け合ってこの惨状に立ち向かって下
              さい。 
               関東地区で生活する身内の電話によれば、屋根の一部と
              風呂場の壁が損傷したとのことであった。もう一人のところでは
              昨夜、帰国予定の息子夫婦が、航空便の自国震災による運航
              中止で、帰国できなかた。 宮崎港では、一メートル六十センチ
              の潮位の上昇があり、その他の県内地区の海岸沿いでも津波
              が到達して、いまも大小の繰り返しがあるようだ。
              人それぞれに何らかの影響があったのだろう。大きな地震であ
              ったことがわかる。

               災害の情報は出来うる限り、正確、迅速に伝えてもらいたい。
              おそれるのは、風評被害もさることながら、無用の混乱を避ける
              ために、重要な情報が管理されて少しずつ伝えられることだ。
              特に、福島原発の冷却装置の機能不全は、単なる一地域の
              問題ではない。最悪の場合、他国にも影響のある事柄だ。
              1986年のチエルノブイリの事故は一国に留まらぬ多大な被害
              をもたらした。その後遺症はいまでも地域に重く残り、続いてい
              るのだ。自国の原爆被害が今もなを続いているように。
              想定外のことではすまされぬことだ。ミリ単位の発生が、人々、
              地域環境破壊汚染から地球規模での災害となる。
               災害情報は、わかり次第迅速に伝えられることだ、もし管理
              なる意識があるなら、それは重大な二次災害への引き金にな
              る。 新聞等によれば、自国の災害に対して、早速各国から
              それぞれ被災支援の意思表示があったとのことである。
              援助受け入れには、その受け入れ場所、各国の援助機能
              などでいろいろ時間的にかかることもあろうが、善意の手を
              差し伸べた国々に対しては、直ぐによろしくと受け入れを表示
              すべきだろう。もちろん、その時期については、自国の受け入
              れ態勢ができてからと一言添えてだ。援助受け入れにしても、
              妙な思惑が働くとしたら、不思議な国と思われても仕方ないだ
              ろう。損得で動くばかりが外交でもあるまい。

               降灰被害に追われる小さな地域にある当地であるが、もう
              お店等では、今回の地震に対する支援金の呼びかけが始まっ
              た。災害援助には英雄などいらぬ。人に出きる範囲、出きる活
              動で協力しょう。






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                         さかのしたのくも18


                                  
下弦の月

お月さん
          2011年3月10日(木)



                誤解されたというのなら、どのように意味を取り違えたのか
               はっきりと説明すべきだろう。他国の基本法を変える事柄にも
               触れていたのだ。(九条を変えないほうが、自国を思う存分利用
               できるそうだ。多額の援助は美味い儲け話だと。要するに九条
               の意などどうでも良いことだとの認識だ。基地は米国に不利で
               自国に有利だとも話しているようだ。なにを言っているのか解って
               いるのだろうか。自国は君等の不沈空母ではないか。この国に
               は一切の軍事基地は不要である。主の好みの従来の自国政権
               党は、「再雇用」した旧軍閥政府官僚の起用からおかしげな道
               を歩まされ続けている。・・・今朝の朝刊をみて追加)
                この件については、従来から陰に陽にかの国の安全保障関連
               人物等から、執拗に仄めかされていることである。内密の懇談
               では、さぞやこれまでも相互官僚連中がひそやかな笑みの中で
               暗黙の了解としてあうんの呼吸にあったことだろう。おまけに時折、
               自国のまつり人は盟主詣でまでして、軍産エージェントにおのが
               信条を示す健気さである。
               近頃の公共放送のバラエテイー化もそうした推移に知らず影響
               を与えているのかもしれない。人の目を現実から損なうことだ。 
               えらいこっじゃでは、すまないだろう。
                相変らず力対力の論理に埋没する愚かさから、いい加減に
               巣立つときだ。くだらぬ軍拡、他国脅威論に盲従することはない。
               (ときに、すすけた果実が馬鹿げた交渉力を吐いたそうだ。
                オブラートに包まれて育った狂った季節が荒れる。)


                地位が違えば、その責任も自ずと異なる。自分の衆の場合に
               は当てはまらぬといわんばかりに、政治資金規制法に違反該当
               しないと煙幕をはる幹事長があったもんだ。群馬の血筋は助かっ
               た。ところで、官房機密費の件はいっこうに埒が明かないが、
               その顛末は追求しないのか。政治倫理に反することは明白だ。
               (大手週刊誌の煽り雲は、どういうわけか季節等に弱い性質に
                あるようだ。というより暗黙の諜報宣伝機関の役目を担っている
                かの如くにある。ペンの終わりである)


                爽やかな風もそよいだ。降灰に難儀にある高齢者の方々の
               ために、少しでも手助けになればと、若いボランテイアの人々の
               活動があった。青山学院の学生の皆さんだ。もう四、五日になる。
               おおきく羽ばたいてください。
                





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                         さかのしたのくも17


          
               近代理論に方向ずけられた米国の日本学は進化の成功を示す
              近代日本という国民国家の形、そしてその語りを主張するものと
              なった。・・・・・アメリカ人による初期の日本論がなぜ「伝記」という
              形式をとったかを説明している。あたかも臣民や市民の個人生活
              を拡大すれば国民的な語りになるかのように、伝記というものが
              国民史の凝縮とみられていた。このことはまた、この国の社会史
              ではなぜ、抗争や対立よりも合意が大切にあつかわれてきたか
              を明らかにする。この語りは、米国の占領を戦後日本の政治的・
              経済的復興のための親切な「手助け」と見なすことで、その植民
              地主義的な立脚点をごまかし、抑圧することに貢献した。
              だからこそ、この国の近代史においては同時に、アジアへの帝国
              主義的・植民地主義的介入の経験、そしてさらには戦前を支配し
              たファシズムが、亡霊を軽視するかたちで「再雇用」されたのだ。
              ・・・(*)

               他国を半世紀以上も蹂躙し続ける人の言葉が<ごまかし、ゆすり>
              の理解で沖縄を一蹴したそうだ。いかにこうした見方が米国の日本学
              の基礎に無意識に厳然としてあるかを示している。
              琉球時代以来、やまとには足蹴にされ、皇軍には集団自決を強いられ
              いままた、島の景観の良い土地を強奪され、その大半を盟主の軍事
              基地とされ続けられている沖縄である。 米国の日本学の生い立ち
              をきびしく見つめる必要があるだろう。米国は即刻自国に帰ってもらい
              たい。
               こうした言動のはしはしから見えてくるのは、かの国の政策が一貫
              していつも正しいといった傲慢さだ。昨日の予算委員会で、指摘され
              ていたが、新自由主義に侵された郵政マネーの解放、TPPの件など
              その本質は、米国金融資本の活性化にある。解放された経済が各地
              でどのような悲惨な事態を引き起こしたか、あるいは引き起こしつつ
              あるかを見ればわかる。だれでもわかるはずだ、言葉のケイザイテキ
              狡猾な惑わしに目くらまされなければ、それは畢竟弱肉強食の始まり
              とうことだ。資本の完全な自由気ままさは、よく気をつけることだ。
              疲弊した田舎の町並みをみるだけでも、その解放矛盾が晒される。



              (*)「歴史と記憶の抗争」 ハリー・ハルトゥーニアン著より
                                 カツヒコ・マリアノ・エンドウ編・監訳 みすず書房
               
               
               


                 
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                         さかのしたのくも16

                               
夜の街灯

街灯
             2011年3月7日(月)

                 組織も生かし方しだいにある。四五日前、近所で集灰し
                ましょうとの呼びかけがあった。七時の集合時間にスコップと
                二十数枚のサービス買い物ポリ袋を持参して、降灰の集塵
                作業にあたった。灰がずっしりとして袋を満たす。重い。
                みな、なにかしら小声で言い合いながら灰を集めていた。
                いつもながら、利害損得のない作業協力はすっきりとした
                時間に過ぎる。ボランテイアの心持である。こうした協力は
                どんなに時にあっても、たいした苦にならない。互助組織が
                本当に困ったとき、苦しいときのそれであればすぐれた頼母子
                になる。かっての隣組が生活互助から国威高揚、生活監視と
                いった統制手段として機能していった過程を考えれば、まつり
                に依拠することなく、個々人がはっきりと意思表示にある活動
                がいつの時代にも大事であることが知らされる。

                 時代が不透明と誰彼そう思わされる雰囲気、閉塞に覚える時
                妙になにかしら人のよい底のない陽気が目立つようになる。
                息苦しさからの抜け道、個々の力ではどうしょうもない現実に
                対するいかりのはけ口として、巷にえらいこっじゃや、えらい
                こっじゃの歌が並ぶ。そのうたにはもう現実と対決する気など
                消え去ってしまっている。 狙いは確かである。本当のことを
                知られたくない筋の脚本通りにことが展開するようだ。
                民の思考力をいつしか奪う娯楽、世が平安安泰にあるには
                人々の何故の疑より一時の忘我の喜びが必要なのだ。
                清水に魚棲まず、と忠実に人の文化の開花を謳い上げる。
                 近頃の放送媒体にある簡易な娯楽の共通化は、その権威
                主義を脱するには良い方法の一つでもある。だが、そこには
                由らしむべし、知らしむべからずの穏便な意図が我知らず隠さ
                れている。こうした時、一か八かのまつり、否か諾かのまつり
                が起こりやすい。人は突然現れた心地よい短い言葉の確かさ
                に目を起こされる。全体主義、体制翼賛まつりの始まりである。
                思考力、批判力を失った人々には、その言葉の新鮮な響きが
                真と写り、自己の存在価値さえ見出すのだ。
                
                 考える力は、生きものにはそれなりにそれぞれ備わっている
                のかも知れぬ。いまのところその頂点にあると我々が思っている
                霊長類として、人間として考える力を安易に見逃してはならぬ。
                考える力も、進化論の一つの過程にあるはずだ。だとしたら、
                人が人たる所以はなにか、そして人にとって何が良いことなのか
                といった疑問は、つねにおぼえていこくとだろう。

                
                 
             
         

                         
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                         さかのしたのくも15
                                        

轍 轍
                       轍が湿った灰を描いていた。 2011年2月28日(月)

                論白に筋道があれば少しは聴けるが、ひいき目にみても何か
              白々しい言葉にある。 主のたってよる衆のこれまでの言動から
              すれば、臆面も無く語る姿には、恥という意が理解できぬようだ。
               基本法を本当にこれまで真剣に実践してきたのか、その前文の
              真摯な理念を実現しようと努力してきたのか・・否であろう。
              教育行政にしてもしかり、歴史に対ししてまともにむ向きあうどころ
              か、国民主権を踏みにじった過去の歴史を誤って伝える教科書を
              よしとしてきた当事者にある。 揚げ足とりも休み休みに言うことだ。
                                             (予算委員会点描


第九十九条[憲法尊重擁護の義務]

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官

その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。




降灰のかたまり

灰が雨で固まってしまった。
晴れてから除去することとする。
灰の轍は取り除けばすむ。
だがおこがましい過去の轍を
踏むのは御免蒙る。

               




                
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                          さかのしたのくも14


                                        2011年2月26日(土)

                西郷どんの連れが役目を終えて帰った。
               降灰除去作業に従事されたみなさんご苦労さんごわした。
               鹿児島のみなさん まこちあいがとがした。
               おかげでみやこんじょはいろいろおしえっもろもした。
               
                新燃はこのところ落ち着いてきた。専門家によればまだ
               まだ地下流動物の沈静化にはほど遠いとのことである。
               備えあれば患いなし、避難に疲れた高齢者の方の心情を
               代弁される声も聞こえた。なんでも試行錯誤である。
               起こってからでは済まされぬことがしばしばだ。
               当市の危難に対する処置は間違ってはいなかった。
               
                イチロー選手の宮崎への高額な義援金があった。
               あいがとごわす。




                          
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                          さかのしたのくも13


                                        2011年2月25日(金)


       勘定の時、小さい文字の書かれた箱が置いてあった。
      義援金とある。地震被災地への復興見舞金の主旨だ。
      偏屈な自分に、スーパー店舗は元来生理的に馴染まない。
      だが、罹災地に対する緊急支援行動は素直に受けた。
       天災に見舞われた人々への世話は、一体どのように
      あれば良いのか咄嗟には思いつかない。精神的に打ち
      のめされた人々の取り返しのつかない心情を察するに余
      りある、とおもんばかっても空虚な思いに消えてしまう。
      いえることは、周りの者は静かに支援の世話にあること
      だろう。純な義にあればあるほど、抑制された行動が必
      要だ。報道写真を通じて思える、親子の手立てのない
      悲嘆に沈む姿が胸に焼きつく。
       支援に対する行動にあってさえも、情けなき政争の具と
      する愚かな政治家の言葉があった。一つの暗示がある。
      阪神淡路大震災における人々の行動だ。超党派の行動
      を呼びかけ、現に必要な法律を実現させた人達の姿だ。
      その指導を担った内の一人は既に亡くなってしまった。
      いつも黙々と行動にある人であった。
       災害支援に必要なことは、いずこでも行政・政治の一致
      した行動体制であろう。
       自国の普通の人々が、いま実践できることは浄財を
      もって静かに支援する輪を広げることだと思う。




      

                          
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                          さかのしたのくも12


                                  
洗濯

       2011年2月22日(火)
                どんなによくしても、朝の段取りは二時間たっぷりかかる。
               母のおしめをかえ、目を拭き、よだれを掛け、箸をあげ、入れ歯
               を磨き、便をとり、薬をやり、折を見て洗濯物を干し、車椅子に落
               ち着かせる。もちろんわが胃袋の面倒も見る。介護サービスの
               迎えに、手をふって母を見送る。朝の儀式の終わりだ。
               時刻は大体、九時ちょっと過ぎだ。母は本当に手を返してくれた
               のかな、と思いつつさもしい疑心に、じこけんおをおぼえる。
               ともあれ、降灰はない。絶好の洗濯日和にあった。

                                   


つぐみ
                鳥の声がちらほら聞こえる。しかし、いつものカラスはアンテナ
               の定位置に降灰以来姿を見せない。どこで餌を探しているのやら。
               ひよどりかと思ったらつぐみであった。庭に下りて盛んにちゅちゅ
               ちゅとふれながら忙しない。
                午前中の伝に、ニュージーランドの浅瀬に、ごんどう鯨が乗り上げ
               たとあった。残念ながら救助が難しく全頭殺処分されたとのことで
               ある。 四時ごろになって今回の地震の発生を知った。ひょっとして
               鯨は地震を予知していたのかもしれない、と勝手に想った。
                かのくには、小さい頃から興味のある国の一つであった。
               種苗を商いする家で育った性か、緑ときれいに共存するお国柄に
               小さな憧れみたいな感情を頂いたものだ。もっともその感を強くした
               のは大分後になってからであるが。一番に関心をもったのは、戦い
               の前に雄たけびを上げるマオリ族の踊りに始まる、蹴球であった。
               オールブラックスの名は、小さい自国の子どもにも眩い勇者として
               記憶されていた。よけいなことであるが、原住民と融和が真からある
               ことを願う。 
                今回の地震被害のお見舞いと供に、災害からの早い回復をまって
               います。 まさに雄たけびの時だウオーツ!
                
        


    
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                          さかのしたのくも11
              

                                   
サンシモン

年が明けて二度目の水遣り。寒さが厳しかったので、
月一回の潅水ですました。黒法師の独特の色合いは
まだまだである。徐々に元気を取り戻すだろう。

                     20011年2月20日(日)

                昨夜のネット伝によれば、ドイツで交通閉鎖があった。
               理由は、ひき蛙の移動を邪魔しないようにとの心遣いであった。
               なにかしらほっとした。 ドイツ人の命にたいする一つのありかた
               を示していた。できうるならば、おなじ人間種への同情、異文化
               への理解もその程度を上げてもらいたいものだ。難しいことだが、
               他者への排斥、嫌悪はなくしたほうがよい。どこの国でも実質的
               には労働環境は厳しい、その働く場を安い労賃で犯されることに
               憤りをおぼえるのも十分理解できる。しかし、苦しい時であれば
               こそ、ワークシエアリングを考え採用してきた国である。その鍛え
               られた思考が鈍ったとは決して思えない。もし文化面からの嫌悪
               なら懐を開示して互いに交流を深める努力がいる。たとえ相手側
               が知らず口を閉ざす傾向があるとしても、その態度はこちらの
               態度の反映だと識ることも必要だ。
               ともあれ、蛙族には安全な一日であった。ありがとう。 


                                  
蝙蝠蘭

蝙蝠蘭も二ヵ月振りの水気であった。被覆していた覆いが
破れ、寒風が吹き込むのは当たり前の状態にあったが、
元気に大手を広げて見せてくれた。十年以上の付合いになる。
株分けしてあげないとおもいつつきょうになった

                各地の人々の鬱憤が渦巻く。民の意思表示はデモでしか
               表現できないことを、人々は実践体感している。
               強権政治が続く環境では今もってデモクラシーの基本原型が
               生き生きとして訴える。ギリシャは息絶えたのか。経済破綻は
               何だったのか。流動する時にあって、アテナイに産声を上げた
               まつりの原点を見返ることも大事だ。 もう一つの閉ざされた国
               では、その政治は軍服を背広に換えただけの名目民主政治が
               強権実施されている。スーチー女史は幽閉されたままだ。
               糾弾すべきは民と国土を奪う軍国主義の利権亡者だ。


                                   
紫陽花

紫陽花は枯れてしまった。同じように水遣りする。
暖がもどればきっと芽吹くはずだ。昨年もそうだった。
無情だが肥料など一切あたえない。

  
                 緑の水面に溶けた光が強く輝いた 乾いた丘には男と女

                 男が笑うと・・・・ 女が動くとあたりが退いた・・・

               それらしき文言を連ねたころから四十年あまり経過した。
               女との付き合いは、もうかれこれ六十年以上になってしまった。
               ひとりの人によれば、それは言葉として昇華し、いまでは想像力の
               源泉にあるようだ。当時は、ヘンリーミラーの書き物も読本の一つ
               であった。なにも性描写に惹かれたのではない。
               彼のコンクリートの冷たい塊への呪詛と、創作の源へのかかわりと
               に関心をもったからにすぎない。
                女はいまでは、嘲り貶すことはしなくなったが、黙ってあたしを
               つつむ。 かって女が とまれお前は美しい と言わせしめたとき
               美のなかにおどろおどろした哄笑、つめたい驕りの響きを感じた。
               人生の終結における恍惚を見透かした冷徹な笑みであった。
               女はそれも一つの形式よと、ふふっと耳元に柔らかく囁いたものだ。

      



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                          さかのしたのくもⅩ


                人の生きかたはそれぞれであろう。しかしそれがまつりに
               まつわると本人の思惑とは関係なく妙な感情、思いを人に
               あたえる。よばれたのならまあ官僚出身の主でもあるので
               そんなところだろうと思うのだが、なんの新鮮味もない。
               そんな暇があるのなら、現場に立ってしっかりと現状把握と
               執るべき課題に取り組むことだ。しかも相変らずの陳情姿勢
               の姿に、官僚機構の役人育成の方法、なにかしらお上から
               賜るものだ、といったことを教えているかのようであった。
               鞠躬如のまつりなどよけいなことである。

                ひとの気骨は、その人の穏やかな言葉、明晰な語り口に
               あっても、どうしても否としか表せぬ態度があるものだ。
               亡くなってからまだニ三年しか経たぬが、ますますその人の
               歩みが、身近に感ぜられる。
               人はなぜいきるのか、なぜ寂寞としたおおいなる無に帰すこと
               が自明なのに、それでもいのちを唾棄するもの、人を惑わす偽
               に向かうのか・・それはどうしょうもない考える力を持った命、
               自らとおなじ果かないいのち、いきものにたいする思いやりが
               あればこその存在に対する歩き方にあった。
               その人の真骨頂は、たとえ恩師に咎められても、偽の前に
               あってはけっしてひるまないということであった。権威と言い換
               てもいいだろう。
                言葉の陰影が違う場面だが、ある人にもそうした抑制された
               気概を覚えたことがあった。ひとがある栄誉を辞退されたとき
               その感をつよく気づかされたものだ。なにもその勲章を授かっ
               からといって、人が非難されるわけなど全くなく、まして人の業
               績、優れた仕事に少しの傷も与えない。 ただ、ひとりの人の
               生きかた、気概を学ばされたものだ。

                  
                放送にあったが、これからあったかくなると次第に風向きが
               西向きの風、北向きの風になるだろう。
               桜島が寒い時期は、北より西よりの風で垂水、鹿屋方面への
               降灰が多く、逆に夏場は東より南よりの風で鹿児島市内方面
               が灰に悩まされる。 
               新燃の噴煙が今後も続けば、小林、えびの、霧島市、さらに
               人吉あたりにも灰が降りるかもしれない。身近な自治体、住民
               同士で、知恵と対策の連携が必要なようである。
                
                この二十日ばかり、床の灰の掃除が日課になった。
               母が介護サービスから帰ると、車椅子に粘りついた灰が床に
               くっつき、それを外へ掃きだすのだが、しまいには濡れ雑巾で
               で拭くしかない。






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                          さかのしたのくもⅨ


                                  


淡雪
                    2011年2月12日(土)
朝方 雪がぱらついた

               
              きょうは泊まりだよ。あした帰ってくるんだ。母はなにもいわない。
             お願いします。迎えに見えた短期入所生活介護の方に世話を頼んだ。
             なにかすっきりしないものがある。後ろめたい感じがする。
             母は昨年の十一月から土日は短期入所介護サービスを受けるようにした。
             平日の五日間は、通所介護をお願いしている。介護は面倒くさくても自分
             の手でしてやりたい。まして泊まりは縁を切ってしまった様な寒々とした心地
             になる。なにかしら仕事もどきをしなければならぬので、世話をおねがいする
             ことにした。母は黙ったままであった。はいお願いいたします。

              雪は十時前には消えた。昨夜日が変わる時、窓ガラスが震えた。
             零時を過ぎたと思ったらまた震えた。新燃がふるえたのだ。
             昨夜、市が独自に決めた土石流避難勧告基準による一部地域住民への
             避難勧告があっ。零時に解除されたが、適切な対応であった。
             口蹄疫に対処したときもそうであったが、その筋の意向を待たずに即刻
             反応した動きは、行政のいつもの遅々とした対応に比べて随分と決断力が
             あった。 おもえば、れいの県政トップの口とは裏腹にその態度の優柔不断
             な判断に終始した一連の動きなど、おのれの責任逃れともみえる流れでしか
             なかった。
              当市は、さいわいなことであるが、あっちこっちで見聞きするいわゆる成り上
             がり的行政はない。一口宣伝文句の派手な首長がいないのが、こののんびり
             とした田舎にぴったりしている。 

              記事にあった通り、計算してみたら、肥満度指数は22.7であった。
             許容範囲である。しかし男性で、体脂肪20以上は肥満だそうだ。
             先月の新燃爆発以来、ランニングは止めている。その性かなと考える。
             知らぬ人が見たら、なにか病気でもしたのかしらと思える体躯に締まった。
             もちろんやせるのが目的で始めたのではない。食事は普段どおりしっかりと
             三食摂っている。 体の幹ではしる感覚は、おぼえれば止められない。






                                                 
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                          さかのしたのくもⅧ


                                  


ひよどり
                     2011年2月10日(木)
このところ鳥の鳴き声がしない。降灰の影響だろう。


              軟体動物は、色々と姿態を変転させながらそのいき様をあらわす。
             どこに触手をのばすかと思いきや、すっと身を縮め、意外なところで
             その手を伸ばしている。いつ伸びたのかわからぬことも多い。
             いきるためとはいえ、迷彩に長けている。 背骨がないからどこまで
             がその正体か、はてまた何を狙っているのかさえ不透明だ。肝心な
             ところはだんまりが通る。触手は寝息を窺い、獲物は知れず罠にはま
             る。心無い獲物が気がついたときには、背骨は既にへし折られている。

              戦略のない活動が、戦術をそれと見誤ると四方八方に無定見な策
             を打ち出す。一つの政策が骨に根ざしたものと錯覚してしまう。
             ひとに知らされず、巨額な費用が思いやり予算となり、しかも固定化
             される。安全保障の名の下に、集団的自衛権なるものが大手を振って
             歩いていく。骨などどこにあるのか判然としない。むしろ骨には迷彩を
             ほどこす始末だ。 クニが己を欺く。判然とした基盤に根ざす背骨など
             なかったかのごとくである。現在の背骨が気丈夫だからこそ曲がりなり
             にも人を殺めずに、六十六年過ごしてきた。 平和呆けと揶揄する向き
             があるが、その人の言を疑う。人々がほうけているのではない。まつり
             が呆けてきたのだ。まもるべき基盤を脆弱にしてきたからこそのぼけだ。
             自国には、国の要である基本法がしっかりとある。
             これこそが人々の真骨頂だ。これを骨抜きする目論み等浅ましい。

              あれよあれよと、戦術だけが勝手にはみ出していく、歯止めがない。
             背骨をないがしろにした戦術など愚かな策だ。 その策に執心なのが
             外務筋の政治家、官僚達だ。その一人は一昨年、呉越同舟いまから
             思えば基本的思想同郷同志の盟主詣であった。この士なら政権が
             変わっても、同盟策の変化など心配後無用との主意で、美しき国の
             論者のもう一人の士からその安全防衛策姿勢や良しと、盟主防衛筋
             に立てられたものだ。背骨どころか美しき神の国と根っこで繋がる。

              隣国、他国が愚かな時代遅れの帝国主義にひた走ろうと、軍拡に
             狂奔しょうと、動ずること等まったくない。今後五十年は居座り続ける
             と、戦争を継続するのが彼の国の使命だとばかりの高言など、
             はっきりとその迷妄誤謬を正してやることだ。
             軍産学官協同成長等御免蒙る。地域はどこのものでもない。
             政治家は、磐石の背骨をもった見識にあることが常に求められている。 
              良心的非戦争国家は、ひとびとに最大の豊かな展望をあたえる。
             その基盤にいま一度帰り、一歩を踏み出す気概を示してもらいたい。
             
              

              おーい きみはまだ古希だろう なんだって六十ちょっとだって

               そんなにわかいのかい

              ボール打ち ゲートボールが面白いかい そうだろう なるほど

              まだまだ若輩だ いまじゃ六十 七十は洟垂れ小僧の時だ

              すこしは 先輩にならって 過去の事件経験をいかそうじゃないか

              十分働いたって それもいいだろう けれど 老成するな 

              背筋をぴんとのばそうぜ 心身のためだ そして 他の人のためだ 






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                          さかのしたのくも  Ⅶ


                                  
高千穂之峰 2011年2月1日

                   高千穂の峰         2011年2月1日(火)
午後五時ごろの高千穂。
お鉢の後に、うっすらと新燃岳の噴煙が昇ります。

               このところ新燃の空震が続く。小さく震えたり大きく震えたりして窓
              を揺らす。窓ガラスが破損したところもあったそうだ。
              新燃が憤怒してから一週間になろうとする。盆地は灰が始終飛び
              交い、地域一帯はうすくすすけた日々となった。 人々は積もった灰
              の除去などに追われ、やれやれと思ったやさきまた新しい降灰となる。
              火砕流の虞がひとを避難所生活へと余儀なくさせる。
              山の活動は長期化する見通しだとすでに云われている。
               桜島地域の人々の苦労をあらためてしらされる。昭和に入って桜島
              が大爆発したのは、1956年だった、ちょうど中学二年のときだった。
              ドーンという音が盆地の学校まで轟いた。それを機として、現在もなを
              活発な活動にある。それから三年ばかりして、1959年に新燃岳が
              噴火した。このときの新燃の怒りは直ぐに沈静化した。ひょっとして
              地下の流動物質が桜島の勢いにのまれ、くじかれたのかもしれないと
              思ってしまったものだ。 先日、降灰対策活動が日常の業務になって
              いる鹿児島市から灰の集塵車が盆地と日南市に派遣された。
              業務対策仕様の伝授と当面の援助として降灰の集塵活動がその
              目的であった。ありがたいことである。当局もさぞや有益な経験を学ん
              だことであろう。 噴火対策としていろいろな課題が、それぞれの地域
              現場にある。何が必要であるのかが媒体等でわかる。 灰の集塵車
              など地域に常備しておく必要がある物の一つだ。常備するとなれば
              一台当たりの費用は、普通の作業車より高額であろう。だが、火山
              活動の活発な地域では、必需品だ。こうした作業車両は、国庫で賄う
              のが至当だろう。各地域に何台も備える要はない。その対策に追われ
              る各地域でまわして使えばよいことだ。 設置費用だが、無駄な国庫
              から捻出できるはずだ。例のわけのわからぬ、使途不明の官房機密費
              などその最たるものだ。彼等にとっては、端金かも知れぬが、仮に二億
              円あれば十台ぐらいは購入可能だろう。まあ、手前の責任などには目
              をやらず、人のあら探しばかりに血眼になる輩のことだ、正義感なる
              仮面は剥がせば金だけだろう。熱血の檄さめれば、そのさもしい冷笑
              だけだ。割烹、高級料理店の領収書、懐金、党費等・・と持ち逃げ化け
              たか。
              恥ずべき領収書等にくらべれば、降灰対策車輌等安い費用である。
              





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                          さかのしたのくも 



                姪と甥から賀状を貰った。二人の家庭のそれぞれのしあわせを
               おぼえた。北米に駐在員として過ごす甥によれば、今年の六月に
               三人目の子が生まれるそうだ。文と写真に家族の和やかな姿が
               あった。 姪からは走っていますかといってきた。本人はジムに通
               っているとあった。 
                しあわせは見掛けだけではわからないが、家族のあったかさが
               人々には大事だとおもう。 ネットの伝に、猿は孫の世話をするの
               がたいそう好きだと報じていた。かれらは日頃から肌のふれあい
               に執心である。霊長類といわれる所以だ。もっとも他の生きもの
               も、その種族の親子間では猿に変わらぬふれあいが多々ある。
               普通、人にとって家族はなんの遠慮もいらぬし、その家庭は安心
               の場所だ。すべての生きものには家族が基本だ。人間は人への
               関心が基本となるはずだ。 ところがわが世間・種族はその基を
               忘れてしまったかのようだ。 ここでは、金が基本だ。ますますだ。
                大阪で二人の姉妹が餓死状態で発見されたとのこと。
               死後、二十日ほどになるそうだ。電気、ガスはその供給が止めら
               ていた由。寒かったことであろう。
                 
                かの国では、途方も無い戦費を生み出すために、小さな政府を
               目指せと一層喧しい。それどころか、あらたな核爆撃機の開発に
               のぞむそうだ。軍需産業がいかにかの国の経済基本となっている
               かの証しだ。私的自治の原則こそが、建国の精神にあると、相変
               らずの思考停止にある。その歴史過程から学ぶことを忘れている。
               当時、その言葉は、植民地からの脱却、封建権力からの経済的
               独立を目指した市民階級のよりどころであり、その意味における
               自由と、自治の拡大であった。そのいう自由を獲得した市民層が
               現在では、当時の王侯権力の自由気ままさの私的自治になって
               いるとは、気づかない。歴史の表面しかみることができぬようだ。
                共和党の大統領であった人の言葉すら忘れたのだろうか。
                   「人民の人民による 人民のための政治」

                        金が基本から 人が基本へ



                                                 2011年1月8日



                
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                          さかのしたのくも 



                              大晦

                お尻はだけてご無礼さまね。簡易便器に座した母が言う。
               何もしてやれなかった。親不孝ばかりして本当に相すみません。
               伴侶にたいするおもいを親不孝の言葉でしか表現することが
               できないのがいまの母だ。仏壇の遺影は母をみたままだ。
                
                そんなにおばさんね。まだ四十歳代だと思っていたのに。
               もうそうした歳なのね。先が短いのね。
               あたしの旦那さんはどこにいるの。何もかも忘れてしまった。
                
                さっき話したでしょう。とうさんが亡くなってからあしかけ五年
               になると。 母さんの姉さんは早くなくなったんだよ。中国から
               遅く引き上げて、しばらくしたら亡くなった。
               詳しい消息はわからないけど、妹さん達は健在だよ。弟さんもね。
                
                兄弟の住所もわからない歳になって。そう妹は発展家だった
               のね。いまでも駆落ちの人といっしょかい。幸せなんだね。

                あっ痛い。引っ張る。 

                痛い。おしめを換えるんだ。ごめん。
               しものけ剃ってやろうか。はは、五分刈りにしょうか。

                母は、ことし要介護四となった。




 

                 
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                          さかのしたのくも 



                 言うべきことを持たぬひとが上にたつには無理がある。
                あるべき姿がどうあるべきかと、みずから判然としないこと
                ほど不幸なことはない。
                 歩むべき道が分からぬのだから、誰彼無しに言い寄るしか
                能が無いのかも知れぬ。ひとびとにとって迷惑なことである。
                まつりの貧困、てつがくの無さがもたらす危うさを示している。

                 先刻来、竹の子よろしくあちらこちらと団体が芽を吹き出したが、
                みな似たり寄ったりである。一見みな元気にあるようだが、その
                心根をみれば同じ狢だ。
                おれがおれがの心意気にしかない武力貢献を基本とする仲良し
                倶楽部の一同である。法の遵守など皆無だ。

                 こうした世事にあって、危ぶまれるのは、約束事は単なる言葉の
                綾にしか過ぎぬといった事態が当たり前にあることである。
                聞けば、外交官僚の手立てなど、自国基本法など飾りだとばかり
                の同盟戦略政策が、真面目な顔の裏で厚かましく行われていた
                ということで、その手法がいまもって行われていることだ。

                 素朴に思えば、法曹という言葉には、少なくとも真実、理に適う
                行動にあることがその使命にあるとの意に響く。
                だが、人が違えばその違うほどに、その意見・考えも人の数ほど
                異なるようにみえる。見たまえ、たとえば、弁護士一人とっても
                その生き様、考え、信念が多様にある。 おもえば、単なる資格
                取得のための一つの科目にあるから学んだにしかすぎないの
                だろう。そういう人には、自国基本法など単なる文字の羅列にしか
                すぎない。どういう過程にあってそれが法源となりえたのか、どうい
                う人の血の歴史があればこその規範にあるのかには目が向かぬ。
                 さらに危惧されるのは、手続きで最終的判断を下す法律審に於け
                る最高裁判断である。そこにある人々は良識ある、法に忠実な人と
                考えるのだが、それでも人の心底にあるその人の生きかた人の個人
                的規範、世事にたいする政治的よりどころが、その判断に影響する
                ことであろう。つまり生き様、現体制それも世俗的意であるが、その
                情勢に判断思考が寄るということだ。 危惧であれば良い。
                 元外交官僚がその法律審にあたるとき、基本法に心根から忠実に
                あるのか、選んだまつりの意図に沿った判断にあるのか、法が試さ
                れる。 なにも、ひとが外交官僚であったからどうからでもなく、結局
                人が歩んできた道がいかなる過程にあったのかが判断の基礎となる
                ようである。 真に法を遵守するなら、法源そのものの法文に忠実
                にあることを願うばかりだ。

                 歴史の捏造など真っ平だ。






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                          さかのしたのくも Ⅲ



                 いまがその時代と変わらぬ時流にあるとはあまり知れない。
                仕方のないことであるかもしれない。 徐々に時が流れていく。
                その流れがその時と似ていることなどあまりわからないのだ。
                 時が過ぎてしまってからやっと気づくのだ。もう手遅れであると。
                だが、まえと同じ懺悔の結果にあるとはだれも知りはしない。
                時は姿を色々と変えて人々におもねる。 やらんといかんと。
                なにをか・・とはすこしも考えに至らぬ気分だけがその主体だ。
                 
                 権威とは、いわずもなが人々に自然と知られていくことで
                あろう。ひとをして頭を下げさせることなどではない。
                その人のありよう、その組織の実体が生きる流れの中で、
                より人にとっていかに有益な思考、支えとなるか、それが団体
                なら、例えば有効な生産、組織体として脈絡を保持していく基盤
                であるかにある。 個も組織もおなじだ。 
                 権威が損なわれているとしたら、本来ならその行動、思考の
                礎となる基本法に対する自国のまつりの姿勢をみれば、だれが
                その権威を踏みにじっているのかと、毀損の実際をおしえている。
                道筋さえまともに読み込むことのできぬまつり人に尊敬は少し
                も集まらない。 まして懺悔の意味をしらずつくさずして同じ轍に
                あゆむ道筋など、どこに限られたいのちに対する畏敬があろう。
                 
                 願わくば、言葉に影響力ある人々は、はっきりと悪いことは
                悪い、よいことはさらに良い方向に向かうように伝言して貰いたい。
                難しいこともあろうが、けして専門分野に隠れることは避けたい
                ものだ。たとえば、科学研究の名の下に人殺し道具が作られ、
                あるいは、研究の派生で生じた悪しき方向への傾斜は避けたい。
                たくましいおおいなる日常世事の推移の中では、個人の力は
                しれたことにあるかもしれない。だがこれは危うい行程と覚える
                ならば、是非はっきりと否と伝言を発したいものだ。
                 権威とは真の理に適うことではないのか。
                
                 本当の生きる人の命のことばがあった。
                先の開戦日を和への行動の出発点とするといった人の提言で
                あった。やわらかな言葉のはしはしに人の確かな懺悔があった。
                権威とはこうした人にこそ相応しい言葉だ。(*)


                (*)印は、日野原 重明さんの「あるがまゝ 行く」にありました。
                                  2010年12月11日(土)付け朝日新聞






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                          さかのしたのくも Ⅱ



               どうしょうもない人間どものやらかす戦では仁義などありやしない。
              相手側だろうとこちら側だろうと、立場が違えば意識的にか否かに
              関わらず、その見方が変わるのは普通にあることである。
              そこには、それぞれの側の知悉されがたい偽善、或いは限定された
              人の道らしき思いがあるだけだ。

               宇宙飛行士の感性が、かけがえの無い地球、この太陽系の住民の
              いのちが棲家とする地球を破壊してはならい、環境を損なってはいけない
              云々・・・。

               容赦なく殺処分された家畜の死を純粋にいたむ学生、小さな感性、
              感受性。

               大抵のひとが、そう想うまともな思考でもある。
              なぜ、そうおもうのか。そうなら人が殺しあう戦、その殺し道具がもたらす
              イノチの破壊、環境破壊へ思いが向かうまでに、いつしかその眼差しが
              閉ざされ止るのか・・。どうしてその感性が停滞したままそう想ってしまう
              常識へと終始してしまうのか・・。

               あなたの隣の、もういまではその自覚ある人、記憶のある人々は
              少なくなり、時の流れに姿を消し去ろうとしているが、そのあなたの隣の
              善良、温厚、紳士的な表情の人々がある場面、ある時間・空間では
              他人に非常な仕打ちをし、殺しをしていたのだ。その事実がなかった
              かのように忘れられいくようである。(*)

              (*)あなたの善良な隣人が・・・加藤周一さんの見識によります。



                                  
                       
                        『帝国主義』に序す 

           人類の歴史はその始めより終わりに至るまで信仰と腕力との競争史
          なり、或時は信仰、腕力を制し、また或時は腕力信仰を制す、ピラトがキリスト
          を十字架に(くぎづ)けし時は腕力が信仰に勝ちし時なり、ミランの監督
          アムボロースが帝王シオドシアスに懺悔を命ぜし時は信仰が腕力に勝ちし時
          なり、信仰、腕力を制する時に世に光明あり、腕力、信仰を圧する時に世は
          暗黒なり、而して今は腕力再び信仰を制する暗黒時代なり。
           (あした)に一人の哲学者ありて宇宙の調和を講ずるなきに、陸には十三師団
          の兵ありて剣戟(けんげき)到るところに燦然たり、野には一人の詩人ありて民の
          憂愁を(いや)すなきに、海には二十六万噸の戦艦ありて洋上事なきに鯨波(げいは)
          を揚ぐ、家庭の紊乱(びんらん)その極みに達し、父子相怨み、兄弟相(せめ)ぎ、
          姑媳(こ せき)相侮るの時に当て、外に対ては東海の桜国、世界の君子国をもって
          誇る、帝国主義とは実にかくの如きものなり。

          ・・・・・・・・・・君は基督信者ならざるも、世のいわゆる愛国心なるものを
          憎むこと甚だし、・・・・・・・・


                       明治三十四年四月十一日

                                       内村鑑三



                        「帝国主義」幸徳秋水著  岩波文庫版



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                          さかのしたのくも



                     薄暮 まんまるいお月さんが白く笑っていた

                低脂肪乳1L入り110円 50円菓子ニ個の買い物だ

               これで一週間過ごすんですよ 乳は一回盃で二杯ばかし

                        勘定の店員さんが笑っていた
     
                いいムーブになったんだろう 先刻承知の動きである

                    あからさまな季節到来と摑んだのか知らん


                諜報活動 策動はいまじゃ言葉を売り物にする輩の身についた

                一つの汚点を下敷きに 世の動静を一つの方向へ煽るのだ

                         特殊中央情報機関と同じ狢だ

                           近い流れで見れば

                自己責任のわめき 北海道の中学生へのあくどいメール脅迫

                 特殊神社記録映画への不思議な興奮発作の焚書の煽り  

                   みずから死ぬこともできなかった哀しい男への追慕

                       さんけい流しはいうよ はんにちと

              ひとの過去をさも罪びとと危ぶその筋の言説を混ぜながら はんにちと

                 この論でいけば 島のひとびとは はんにちだらけだ

                 ジンカクなどなんとも思わぬ週間流し ブンゲイ論壇雑誌

                連中には 言葉は儲けと ある方向への途を示せばいのだ

                           世論のねつぞう 創設だ

                    ねつぞうの裏にどのような連中がいるのか

                    なにわ特捜けんさつねつぞうの裏の正体はだれか

                      そのもくてきは ムーブの醸成につきる

                      いまも特殊ちょうほう活動は蠢いている

                     週間ながし ブンゲイ論壇のうら連中は

                   たいよう派  うつくしき国派 のうごきと無縁ではない 

               おまけに 妙なかみがかりのまつりにうやうやしく頭を下げる先生

                     道学先生はいうよ ばいこくど ひこくみんと

                       憂国 ゆうこくの士はどんな人かしら


                          憂国はどこにありますか 


                   あたしには ちっぽけな いのちしかみえないけど

                      まんまるいお月さんが白く笑っていた