トップへ  ぼんち情報 ぼんち蛙通信7月号 友をしのぶ 2008年3月8日 歓喜の歌 2008年12月8日

青春の輝き


ホメロスの墓のバラ一りん!

薔薇は薔薇の悲しみのために花となり青き枝葉のかげに悩める 牧水


 盲いた人はいま眠る バラはあなたの思いにのみに咲く

人はあしたに命の想いを記し あたしは貴方に香る

いままた詩人が呼びかける イリアスと 

われはいま覚えむ めしいた人の我にあることを
 


「ホメロスの墓のバラ一りん」 アンデルセンに寄る 大畑末吉訳より翻案 岩波文庫

2008年3月3日(月)


2007年8月1日(水)

すべてに目をむけ すべてを覚えた
すべてを聞こうとした すべてを語ろうとした
いまさえも此処そこで蔑ろにされる
たった一度きりの無言の命のために 
ああ 少しばかりは精一杯あるいてきた
なぜ人にとっていいことを堂々と話せないのだ
・・・
おう この香り いつのころのにおいであったろうか
あのふるさとからの香りであるのか
ああ なつかしきふるさとの匂いだ
まってくれ ノア ノア ああその匂い
なんという気高さだ


好奇心
小田実さん

腰を痛められたとのことで、この後、イスに腰掛けられて、話されました。
なんでも見てやろうの心意気は、まだ衰えずといった万年青年の姿そのものでした。
その要旨は、覇道と王道をキーワードに、戦争(暴力)の愚かさと、当たり前の普通の
言葉に生き続ける日常(平和)の大切さを、大きな声で語られました。
会場が主としてテニスの試合場につくられているため、音響環境があまり良くありません。
そのためか、あるいは蛙の耳が衰えたのかは定かではないですが、マイクの音が割れたり
して、話のところどころを聞き漏らしました。でも、会場の外の腕力車の喚きなど、
一蹴してかき消す青年の轟きに、往年の活動を見たような思いがしました。
孫文の日露戦争の演説の中身を、手前勝手に読み間違える愚かさについての話は、
なかなか興味ある語りでした。 
日本にも、良い人、悪い人がいる。中国にも良い人、悪い人がいる。
それゆえ、けっして、独りよがりに「日本人は」、「中国人は」、等とはいわないとの話もありました。


*2005年7月30日九条の会 有明講演会より

                       
                     

         
友遠方より参ず その志徳となれば也          
  
         世に名ありて人集うも 仁なくば人去りぬ

         其れ友生来偽憎めども 人不善問わず
              
        唯自ら行するのみ 人蒼茫の悲しさ知れば也 
 
 
                      

                    2008年3月8日(土)しのぶ

道行
小田実さん

遠くから拝見すると荒武者な感じがしますが、どうしてどうして温和な表情です。
青年いまだ帰らずの道行きにあります。


多々怠りなきよう・・・過去を忘れぬよう・・・

君達だけが腰掛けているのもなんだから、わたしも座らしていただきたい。
直言居士ならではの自然さです。隙がありません。

本音で喋べりなはれ・・・怒らんとウソでっせ!

いまこそ旬の発起人として、基本法の新鮮さとその普遍性を、説く説くと、ときに激しい言葉で
話されます。人々はもっと怒るべきだと大きな声に轟きます。人々の歴史さえまともに見ようと
しない連中が、幼い言葉で戦争と貢献とを同義語にしてしまっているとの明白な怒りです。
デモクラシーはデモスとクラテイアの意味あいだと話されます。つまり民衆の力、主権在民の
意味をちったあ本気にかんがえなあかんと謂うことです。当時でも、民主主義の恩恵に
あずかったのは選ばれた人々だけでしたが、人の考える力は、その意味を大きく進歩させて
今があります。だが、昨今のデモクラシーに、本来の意の民衆支配があるでしようか。
あふれる思考停止のメデイア情報に翻弄される愚かな民衆、いわばギリシャ時代の自由から
弾き飛ばされ奴隷化した、あるいは流行に馴らされた意識の、ニート化現象のそのままでは
なかろうかといった趣旨にありました。民衆はもっと怒らんとアカン、本音で喋らんとアカン
デモはそのためでっせ、デモスは民衆でっせ、忘れちゃアカンで・・・
一緒くたのルツボ国体はアカン、個々のうまみのあるサラダ世界がホンマでっせ。
王道(平和)がホンマでっせ 覇道(イクサ)はアカン 本気で怒らんとアカン


*2005年11月22日くまもと九条の会より

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