トップへ  ぼんち情報 ぼんち蛙通信7月号

道程

言の葉は はかなきいのちの証しなれば
まつりはまことにあるべし


                     2007年8月6日(月)

魚雷と砲弾

小さいころには人間魚雷とばかり思っていました。



魚雷の上にまたがり、悪人共をやっつけるんだと幼き正義感に燃えて、
悪戯小僧どもは遊んでいました。




いたずらしていたころ、魚雷は黒々とまだ光沢がありました。
スクリューの付け根部分の下部も摩滅してはいませんでした。

*左側の石碑は、高山彦九郎の道跡です。



境内に設置されてから、およそ82年。
子供たちが遊んいた時(1952年〜55年頃)から52〜55年のときが過ぎました。




魚雷と艦船砲弾が当時の海軍省からの下賜であったと碑にあります。
それによると魚雷は45cm径のものであり、砲弾は30cmの径であったらしい。
賜ったのは当時の都城市である。下賜は、大正15年6月16日とある。
賜るそうだ、民衆に・・なにが・・鉄の塊が・・
当市には、熊本師団の陸軍23連隊があった。関東軍の主力部隊でもある。
満州事変の要の部隊となってしまった。



境内には、奇人の碑がある。もともと境内の近くにあった標しを、戦後だいぶ
経ってから世人に周知させようと移転したとのことである。もちろん、蛙が
悪戯していた頃にはなかった。意図が歴史の事実を示すことならいいことだ。
人物の諸国行脚の跡としてなら。ただ当時の主のシソウを現代に当てはめようと
すると可笑しなことにもなる。歴史の動乱にあったシソウは、時の権力の不正、
まつりの腐敗を正そうとしたことに、その意義がある。尊王シソウは当時に生きた
意識ある人々の改革の一つの礎、いわば拠りどころのほどの意味しかない。
封建思想の柵を打ち破る動機付けの知識でもあった。
改革者が権力を手に入れ、やがていつしかタイセイ化して堕落するように、
過去の形態のしがらみを体制維持に利用するのはよくあることでもある。
尊王シソウを現代に甦らそうとするかのような一連の動きは、過去に敷かれた
型枠を、現状体制の維持のために躍起になって現代風に焼き直そうとする
意識的な姿である。近頃では、そうした動きを戦後体制からの脱却というそうだ。
奇人の遥拝は、封建打破への信念の姿形でしかないのだ。




先日の台風5号の爪あとであろうか。大きな木立の枝が折れていた。



神柱神社境内周辺の池には、鳩が日向ぼっこしていた。



高い陽をさけて、おだやかにくつろぐ時だ。



盛者必衰の理あり みじかき命なればこそ
真を通すのがまつりなり 理を蔑むこと無かれ



 理は幻想にあらず 惰性の常識こそ風車なり



たった一歩行えばすむことである
まつりは理を通すことなり


 トップへ  ぼんち情報 ぼんち蛙通信7月号