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2018年3月31日(土)

改ざん天国一途に改ざんひた走り


2018年3月29日(木)

  ミクロもマクロも、その窮極は無限だ。一を根気よく分断し続けても、そこでは限りなく
 零に近づき、0.1~0.05~0.025~~と極まりなく続く。しかし、ある一点で零を突き
 抜け~-0.1~-0.2~-0.4~~と続く。その一点が いわゆるブラックホールで、
光さえ捉えて離さない。しかしそのブラックホールこそ別次元の宇宙への通り道ではない
 かと前から子供じみた考えにあった。そう思うと何かしら身ぶるいがする。ブラックホールは無数にあるそうだから銀河自体も無数にあるわけだ。またブラックというからには暗黒
宇宙は全て暗黒物質そのものだろうと思い込んでいた。ところが、AFPによれば、6,500
万光年先で暗黒物質のない銀河が発見されたとあった。少し驚かされた。幾多ある銀河
系それぞれでは、暗黒物質こそバックボーンであると思っていたのだから。 それにしても
、いつものことながらこの銀河群団を限りなく包み込む宇宙の表皮は何だろうと想う。以前
何度か記したのだが、無という存在、無という果てしなき衣とは何ぞやと。
 
 
 2018年3月28日(水)

  道徳は自然に身につくものだ。教科書等で教えられるものでない。社会生活は、日常
どのような動きの中にあるのか、人々の色々な活動が普段なぜ何事もないかのように
 過ぎて行くのか、といったありふれた日々の推移を話題にして話したらよい。普通の社会
では、人々は殴りあわない、それは、各々自然と倫理感を身につけているからだ。また、
身近なルールとして覚えているからだ。私たちは、こうしたこと柄は、それこそ学校教育等
で学んできている。でも、そこでは道徳なる文言は、意識的にも少しも出てこなかった。
 それでも人々は知らず道徳を身に着けて来ているのだ。勿論、道徳そのもは悪いことで
 はない。だが、道徳を上から目線で教えつけることは誤りだ。そうした個々の動きはかつ
ての国体主義的流れにつながる惧れがある。国を愛するという文言も悪いことではない。
しかし、何より愛され得る国にあるのか否かといことが大事な問題だ。さらに、個の自由が
 保障されているか否か、人権として確立されているかどうかこそが教えの基にあるべき
姿だ。


2018年3月25日(日)

  新燃岳の噴火による降灰が、付近を灰色に染めた。おかげで車や洗濯物が灰をか
  ぶり、あちこちで水洗いをする人が見られた。蛙も人並みに車へ水を浴びせた。 
  十日前の噴火では、灰は見なかった。風の気まぐれが問題だ。 全米各地で、銃規制
  を求める大規模なデモが行われたそうだ(*)。ライフル協会の人民の銃保持は、米国
  独立運動時からの伝統だと、時代はずれの文言に終始している。トランプ大統領も的
  外れな物言いに追随している。協会からの献金が足を縛る。命より金といったあんば
いだ。                                   (*):時事通信


 2018年3月23日(金)

  自民党は自衛隊を九条にどうしても明記したいようだ(*)。何故か、すでに安保法
  制、集団的自衛権等違憲法制を多数の力で押し切って法制化してしまっている現状
  に、お墨付きを与えたいのだろう。自国憲法の理念は、すでに足蹴にされたままだ。
  基本法の下部組織であるはずの実力行使組織を憲法の枠内に取り込むことは、基
  本的人権すら危うい条項となってしまう。国民を守る筈の自国憲法が人権を監視、束
  縛する方向へと転換してしまう。自衛隊法が、一般法の上部規範と成っては、かつて
  の苦い経験が現実の問題となって来る。自国は二度と過ちを犯さないことを、国際社
  会へ明言してきたのだ。このことを肝に銘じることだ。代議士等は国民の代表者であ
  ることを常に忘却してはならない。      (*):朝日デジタル

 
日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、
これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと
決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和うちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

第二章 戦争の放棄   
第九条[戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認]
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
第九章 改正
第九十六条[改正の手続き、その公布]
①この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その
過半数の賛成を必要とする。
②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
第十章 最高法規
第九十七条[基本的人権の本質]
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
   
第九条[戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認]
①日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
   


2018年3月22日(木)

加ケソバ 森ソバ 安倍川モチ 
                        煮ても焼いても食えぬぞえ

   前川潰しに 赤池 池田 裏手詣り哉
    
        雨雲なびく悲しさよ 春の武蔵野暮れ染めて 学び舎汚す ご両人
         
     文科省おどろおどろし 民より権


2018年3月21日(水)

   官房機密費が年間10億円ほど消えてなくなるそうだ(*)。しかも使用明細もなく使
  途不明金として費消されて行く。何とも腹立たしく、人々を馬鹿にしたように税が闇に
  消えてしまう。選良等は誰の為の代表なのだろう。まさか大金を掴まんがため議員とな
  った訳でもあるまいに。いや中には金満体質と化したセンセイも多くいることだ。選挙民
  はもっと自分の目を確りとさせねば、結果としてこうした不始末を助成していく側に立っ
  てしまう。次回の選挙では本当の代表を選ぶようにしたい。    
                                 (*):毎日新聞ウエブサイト


2018年3月19日(月)

   これ程までに自国の政治家の質が劣化しているとは思わなかった。でも、事実である
  ようだ。質問者はNHKに勤務経験もあったみたいだが、どだいジャーナリストには不向
  きな筋であったのだろう。まだ若いようだが早や老獪な歳に陥ったかのようで、真の意
  における若さはとっくに失せてしまったの乎。 二、三年前、用があって東京へ出かけ
  た折、何十年ぶりかで神宮球場へ足を運んだ。たまたま座った席がバックネットに近い
  一塁側であったが、隣りに坐した方と雑談した。慶応出の人であった。なぜ、こちら側で
  応援されるのかと問い掛けたところ、息子さんがこっちの学び舎を叩いたので、という
  返しだった。なるほど、親であるには違いないと妙に感心した。ボーイというからには都
  会出身者がほとんどでしょうと、当方がつまらぬ質問をしたが、どうしてどうして地方か
  らの出身者もだいぶ多いと話された。福沢諭吉の志は健在のようだ。政治を志したか
  らには、天は人の上に人を造らず人の下へ人を造らずと云えり・・・と優れた理を話した
  人の生き様を顧みることだろう。つまらぬ差別的発言など、自身を貶める何ものでもな
  い。


2018年3月18日(日)

   証拠隠滅賑やかなことだ。誰の為にやっているのか可笑し気な官僚気質だ。
  忖度、魂胆ともども連れだって我が身悲しと囁き渡る。君の首を握る権力者の傲慢、
  威張りが、陰湿な息を吹きつける。

   言葉を商いとする論壇誌、文芸雑誌が、同じ言の葉をペンに託す新聞企業、マスコミ
  へ確信犯的卑劣な文言を叩きつける。この流れにある雑誌社等は、いつものことなが
  ら性懲りなく正体不明な書き手をもとにだらだらと恣意的話を載せて御の字とする。
  江戸の瓦の情けにもとる世話物でしかない。若い頃は、ここの文庫本などもよく読んだ
  。カミュの異邦人、モームの月と六ペンス、山本周五郎の作品等は、若い蛙へ色々な
  命の様を教えてくれた。それゆえ、昨今の編集方法へ疑義を持たざるを得ない。勿論、
  文芸社といえども企業である。売上に適う販売方法を模索するのは当たり前だ。
  そこで、特定新聞等への批判、指弾も真摯な編集態度にあって欲しいと願うばかりだ。
  朝日、毎日、東京新聞等は軟骨、反骨の心根で、変わらぬペンの腕運びを、巷の人々
  へ届けていただきたい。


  2018年3月17日(土)

   公平を語る時、言葉が人自身の心奥から生まれたか否か、それも徹底した自己透
  徹から生じた言葉にあるかどうかでその公平が決まるだろう。平等とはもちろん違う。
  人が知を感得したあの瞬間、サトリを覚えたあの瞬時、大悟に覚醒した無から出た言
  葉にありやなしやにある。公平は時間の長短に非ず、何が語られたかにある。 
  放送法に於ける公平もそこに基点がるはずだ。言葉が理に適わなければ虚しい話し
  に終わるだけだ。語る時間の長短で決するものではない。まして権力者の話す時間の
  長短など全く関係ないことだ。


2018年3月14日(水)

    森ソバ漫才何をか言わんや 三流ドタバタ喜劇なり

  味もそっけもなしセメント瓦とぼけ顔

ああでもない こうでもない そうでもない 
          なんでもない とんでもない 削り節

官吏 詠嘆 忖度 古だぬき ごった煮盛り


 2018年3月13日(火)

      嘘でごまかす尊大あれば、死人に口なし憐れなり

     裁判官といえども確信犯的裁き人哀れなり
                              (辺野古うみんちゅう) 


 2018年3月10日(土)

   自由な環境のない社会生活では、人々の言論、思考は内面化し、表向きは政治権
  力の言葉が人々を包み込み縛る。人間は幾度となく経験してきたことであるが、全体
  主義社会では、まるで初めての経験であるかのように新しい装いで人の心を締め付け
  る。もっとも表面下では、人々の心まで縛ることはできない。そんなことは権力者も先刻
  承知だ。それゆえ一層法律・規律が統制強化へと解釈変更されがちだ。広大な国土国
  家であればこそ強権的な行政が当たり前となってくる。しかし人々は図太い。すでに、と
  っくに自由を知った庶民等は権力者の言葉などへのこっぱである。だた、大国では権
  力期限を延長したのみにあるようなので、心配されることもないであろう。が、権力集中
  と延命は権力の驕り腐敗を醸成する最大の基でもある。優れた先賢の詩人等を生ん
  だ土地柄でもある。焚書坑儒時代へ後戻りなからんことを願う。


   2018年3月9日(金)

   昔、映画<悪い奴ほどよく眠る>という題名の黒沢明監督作品があった。近頃では、
  悪い奴の目覚めはあまり心地良くないだろう。もともと内に秘めた隠し事の件が脳裏を
  かすめ、しかも、官吏の自殺が闇に追い打ちをかける。官吏の自殺は痛ましいことだ
  が、自国特有の責任、不始末の取り方で、救いようもない手立て慣習だ。なぜ、真実を
  知り得る当人自身が本当の事を明かさないのか卑怯な人士である。赤絨毯を踏む資
  格など到底ない。巧言令色鮮し仁の言葉通りである。


 2018年3月8日(木)

   木星のガス大気圏はおよそ3,000kmだそうだ(*)。地球の大気圏は500kmとい
  われ、普段は80~120キロが通常大気圏と言われている。従って、木星の大気圏と
  比べれば、通常単純距離換算で約30倍の差がある。NASAによれば、地球より大きい
  木星の渦巻きは1,600年頃から渦巻いているとのこと。しかもこの大赤斑は徐々に
  縮小し消えていってしまうと。淋しいような気がする。宇宙的に言えば、ちっぽけな一銀
  河系の群生タイヨウ系の一太陽系における一惑星の営みである。とは言え、我が故郷
  の仲間内の渦巻に言い難い情をおぼえる。       (*):AFP

   言論の自由は、人々が抱いている思い、考えを忌憚なく出し、表現することだろう。
  そこでは日常的な営み、社会的営み、政治的営み等多岐に及ぶ。当たり前に感じる
  言論の自由が、夥しい血塗られた時間・歴史に見られる権力と思考の闘争、無知と知
  識との葛藤等として発露されてきた。言論を論駁することは、当然なことであり、それに
  対して反論することも当たり前のことである。しかし、言葉が何を語っているのかを把握
  し、はっきりと論ずることが肝要だ。お前を殺すという言いざまや、お前は馬鹿だと言い
  放つ暴言など言論以前の問題にある。 難しいことだが、本来言葉を語る時、そこにそ
  の人自身が思い至った思考過程を、自然と感ぜられればいい。無知の知を良く弁えれ
  ば、俺が俺がの生活態度は恥ずかしいとおぼえるだろう。人々を一緒くたに括り、恥ず
  べき言葉を放ち、指を指し示す街宣など言論の自由を逸脱する暴言にしかすぎない。
  言論の自由とは何ぞやと自らに問い掛けることだ。


2018年3月7日(水)

  ・沖縄では、米軍戦闘機の部品がまた落下したとのこと(*)。頻発する落下にもかか
  わらず、米軍当局からは何の音沙汰もないようだ。知事は、はらわた煮えくり返ると激
  しく批判しているが、自国政府の対応は相変わらず優しい受け取り方にある。沖縄県
  民には素っ気なく、米軍へは形ばかりの注意喚起を促すのみ。自国が依然として植民
  地従属国に甘んじさせられている姿を改めて知らされた。(*):琉球新報(ウエブ)。

 ・森友学園の疑獄事件は、下部財務省官吏の不手際の問題として矮小化する政府の思
  惑にある。身に覚えがない事件ゆえ内閣閣僚トップは濡れぎぬだとばかり降りかかっ
  た火の粉払いに大わらわだ。少しも潔さはない。まして事実をもみ消す姿勢だから、主
  権者は開いた口がふさがらない。貉が真実、誠実などと口にすればするほど庶民は口
  へばるばかり。悲しいことである。役人官僚の目にはトップ映るのみ乎。


  2018年3月6日(火)

  久方ぶり新燃岳が噴煙を上げ、盆地へ灰を降らした。58年前高校二年時、友人と霧
 島縦断した折、高千穂の峰~高千穂河原~中岳~新燃岳~獅子戸岳~韓国岳~えび
 の高原へと歩いた。新燃岳では噴火口の縁に座り握り飯を頬ばった。その時分の新燃
 は大きなごつごつした長方円形の岩石が噴火口縁にデンと構えて登山者を迎え、白い
 煙を二筋三筋静かに上げていた。霧島縦断登山は良く行い、一人でしばしば登っていた
 。登山禁止時にも黙って登った。幸い人様へ迷惑などかけなかった。今思えばぼっけも
 ん、青い冒険であった。


   2018年3月5日(月)

  麻生財務相は、財務省の森友学園をめぐる決済文書書き換え疑惑で、その件には
 一切触れず内部調査の方針、留意点等だけを話したそうだ(*)。その理由が省内の内
 部調査について大阪地検が捜査に入ったからとのことであった。疑獄関連事件は、大抵
 のところ似たり寄ったりの不明瞭な問題解決が意図される。自国で三権分立が正しく機
 能しているかどうかあらためて試される場面となった。 司法は自国の基本法に忠実に
 あれかしである。                (*):時事通信社ネット


   2018年3月4日(日)

  古来、長期政権の弊害、独裁が、人々の権利を押し潰してきたことなど歴史が教えて
 いる。近頃でも、大国ではその習性があからさまになってきているようだ。しかも、自由
 の女神が見守る大統領が、その動きを称賛する有り様だ。哀しいことである。共和党大
 統領リンカーン、民主党大統領J・Fケネデイ等、いったいどのような思いで下界を見てい
 ることだろう乎。議員等の任期は、長からず短からずといたバランスが大事である。まし
 てやそのトップについては何をかいわんやである。


    2018年3月3日(土)

          ・・・巷に雨が降る如く 我が心にも雨が降る・・・
                              ポール・ヴェルレーヌ

   首相をめぐる官僚の忖度囃しには腹が立つ、文書を書き換えても平然としている面
   の皮の厚さには、庶民の嘆きなど素知らぬ顔だ。ここでは嘘が真実で真実が虚構と
   なる。赤絨毯のトップは潔く辞職すべきことを知らず、出所進退ままならぬ貉はまつり
   を腐らす。


    2018年3月2日(金)

  国会議員の中で主権者の視点に立った政治家が何人いるのか知らん。まして官僚は
  、先生方を忖度した資料を改変することに汲々としている。ここでは庶民の思いなど打
  ち捨てられたままにある。しかも大臣の席でふんぞり返り、口をひしゃげニヤリとする
  者もいる。三文オペラと言ったあんばいだ。これでよく高額な報酬、手当を貰えるもの
  だ。世間では、高給勤め人だけが生活しているわけではない。裁量労働とか高度プロ
  フェッショナル制度とか、何かしら素敵な制度に響く耳障りの良い案件の話しごとだが、
  全労働者をカバーしてるものでない。いわゆる一流企業主体の労働環境の話しにしか
  過ぎない。本来政治家とは、行政から見落とされている人々へ確かな目を向けること
  だ。決して経団連等の視点だけに乗る事でない。