鐘楼台
 五時前、近くのコンビ二に出来合いの夕餉を買いに行きました。まだ鐘
 つきには少し時間がありましたので、お寺の境内にいってみました。




本堂
 お寺は東本願寺真宗大谷派の願蔵寺です。何十年ぶりかの境内探訪です。所在地は蛙のところから歩いて10分くらいのところにあります。蛙の近辺の人達は、西本願寺の摂護寺が檀那寺となっている方が多いのですが、距離的にはここのお寺さんが少し気持ち的に近いかなと思います。自国のどこでも見られるお寺さんの規模ですが、木の造りの造営物には何かほっとします。
夕焼けの鐘楼
 夕日の残照に映える鐘楼です。鐘楼台に隣接する下の敷地には、お寺さん経営の幼稚園があります。逆黄泉(光線のつもりでキーを押しましたのですが、この間違いが面白かったのでこのままにしました)のなかの風景もいいものです。日銭ぐらしの身にも、師走の晩鐘が届きます。落穂ひろいとまでにはいきませんが、黄泉の国の人がおーい何をそこでぐずぐずしているのか〜と打ちます。
静寂
    まだ、午後五時前ですが、境内は静寂そのものでした。

         夕されば 煩悩かくれ 夢まどい   蛙



本堂左側
 本堂の左側の様子です。弓矢を通すには奥行きがあまりありません。自国の地方の普通のお寺はそう大きくもないですが、本堂のなかをのぞくと大きく感じます。蛙は履物を脱いで賽銭箱に心ばかしを入れました。滅多なことでは神仏様にお賽銭など納めはしないのですが、少し魂胆がありましたのでいれました。
     
もうすぐ五時です。
 もうすぐ五時になります。夕日に逆らわない風景はまだまだ南国の薄暮
 にあります。 
     けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く 
                                  若山牧水 



鐘つきが始まります。 
 梵鐘の音が鳴り渡ります。
住職の息子さんでしょうか、五時前にきっかりと鐘楼台にあって、梵鐘をつかれます。この機会を逃すまいと俄か写真撮りが構えて、音を捉まえようとしますが、なかなか音は一筋縄にはいきません。
鐘の響きの余韻が消えたかどうかの狭間に、つき手は予告なしに撞木を振りかざして、ついていました。


 鉦の音や 生きてあれこそ 響きかな  蛙
 
入り口から見上た鐘楼
 たった五つの鐘の音にも、時の流れは規則にあります。願蔵寺の一つの時は十分と間合いのある音です。三つめの鉦がなる前に、入り口に回り、つき手の正面に相対しました。ちよっと目で会釈して構えましたが、つき手は姿勢を崩さずに軽く会釈を返されたまま撞木を下ろしました。


ユリノキの説明文は取り入れましたが、肝心のユリノキの取り込みを失念しました。
 ユリノキの説明文です。境内の中に大きな樹木があります。大きいといっても幹まわりは約5mばかりで、高さも26mとありますから、屋久杉などに較べると小さい部類です。大正2年に地元の人の寄贈とあります。まだ92年の樹齢だそうです。これからどんなに大きくなるのか、いまからの夢にあります。画像の汚れは説明盤のそれです。残念ながら、本体の樹木そのものは撮りそこねました。梵鐘の音に気が向いていましたので、鉦のつきての出番に失念しました。
磐石の鐘楼です。 
 

 鐘楼台の造りには、自国仏閣職人の技とアジアの造形美の血が融合しているかに見えます。遠い昔の祇園はどんな姿形であったのだろうか、こうしたどこにでも見られる形式にその名残りが残って入るのか知らんと、思ったことでした。


 鐘の音や
  人のいのちの
    ありかうち  蛙
   
通りの向かい側からの鐘楼台。
 向かい側に道路を渡っての鐘楼台です。これでもまだ五つの音は
 あと一つを残していました。
同じく向かい側からの鐘楼台。
  鐘楼と電柱の並存は、木の文化の悲しさでもあります。これが普通の
  自国の風景です
。 釣鐘や 一つ二つと 五つなり  
トップへ  ぼんち情報

 ぼんち蛙通信12
梵鐘  2004年12月11日(土)