霞神社 
 霞神社の白蛇奥の院を望む。
霞神社は、地元では霞の権現さんと親しみをこめて呼ばれています。参詣登り口より見上げたところです。
霞神社鳥居
  霞神社鳥居です。いまでは普通の鳥居の姿です。
参詣登り口
           参詣登り口です。
由来図
霞権現図 

 


 天保年間に刊行された「三国名勝図会」に描かれた霞神社です。図絵では祠廟を設けず、とありますが、現在では奥の院として設けてあります。図のどこに白蛇様が現れているか分かりますか・・・
昔の人の想像力は豊かであったようです。また修験者に畏れ奉られていたとのことですので、象徴的に表現されているようです。長蛇の白蛇様が描かれています。
地頭館より東のほう、一里とあります。見た方からの卯ですから、おそらく今の高崎側に地頭の館は位置していたのだろうと思います。これは蛙の推測ですから念のため。
澄んだ木立の中を見上げれば鳥が遊んでいました。

大体半分くらいのぼったところです。澄んだ空気の中で木立を見上げると小鳥が遊んでいました。
カッコの中にいます。

拡大画像
が右です。
こっちを見つめる小鳥
 こっちを見つめる小鳥です。種類は知りません。セキレイか、シジュウガラみたいですが、首回りが白くしていますので、違うかもしれません。
途中の奉納鳥居です。
  もう半分はすでに登りました。あと一息です。
モノレールのある鳥居。
 鳥居は、奉納鳥居みたいです。奉納者の出身地が標されていました。右にモノレールがありますよ・・荷物などを運ぶのでしょうか・・
本殿 
 
 霞神社の本殿の門です。小さな山の頂にありますので、社の造りはこじんまりとした、身の丈にあったものです。
蛙が詣でたのは、四十三年ぶりです。当時の社は、まだ素朴な古めかしい様子にあったと記憶しています。いまでは色が目につきます。登りの階段も以前は土の中に、ところどころを岩石で埋めて造られていましたが、今はセメントで固められています。登りやすくなったことは確かです。
案内板 
 案内板にありますように、霞神社は商売繁盛を中心に、多くの開運の神様として、地域の人々に参詣されています。
今日(2004年12月27日)あたりは、参道上り坂沿いに少ないながらも軒を連ねる、縁起物や、土産品を売るお店の人たちが年末年始の参詣客に備えて、準備に余念がありませんでした。登り口下の方では、出店の兄さん達が準備に怠りなきようでした。
手の清めの水です。
 手の清めどころです。竜神様がしっかりと清水をお守りしていました。
竜神様とおみくじ
竜神様のお髭にお御籤が結わえてありました。どんなご利益があるのやら・・ゆめゆめ蛙では決してありませんぞ・・・
霞権現祭神霞権現の祭神が説明されています。
神社は高原(たかはる)町にあります。蛙の棲みかから車でおよそ四十分ぐらいの所にあります。標高は、蛙の感で大体五、六百メートルぐらいだと思います。神社参詣登り口から、白蛇様の奥の院までは、高低差は約三十メートルから四十メートルくらいかなとみています。階段は約270段ありました。段差がだいたい10cmでしたから、単純計算すれば27mとなりますが、幅や勾配などを考えるとそのくらいが妥当であろうと判断したところでした。
本殿です。 


 本殿です。すでに干支の酉歳と墨書きされていました。祝詞が奏されるところでは、人が塗装に精出ししていました。年の暮れはまさに旬にあります。
蛙の知っている社殿は、このような赤の社殿ではありませんでした。干からびた質素な感じの木肌に守られた社でした。
人の開運の願いを運ぶ絵馬です。                 
              白蛇様 

 
 
 人の開運の願いを絵馬が届けんと天空をかけます。霞の絵馬は白蛇様です。白蛇様は慌てず急かずゆっくりと気長に、ひとの願をお聞きになります・・・
戯曲作家、田中澄江の歌碑です。
    戯曲作家、田中澄江の歌碑です。
山の好きな人の歌です。
          山好きの人の歌です。
田中澄江の歌碑 
 
 

 1975年とありますから、約三十年前に霞の山で歌われたことになります。
日本の文字をヤマトと歌うか、ニホンと歌うか・・・ニホンが相応しいと、詠じてみて覚えました。

 蛙はこの年の頃は、鹿児島で仕事をしていました。
水子地蔵
   水子地蔵がありました。奥の院の左隣です。
   地蔵のうしろに右の歌が奏してありました。
     いつわりの世をまだ知らぬ幼子が
           こゝろや清きかぎりなるらむ
  うたの巧拙などとの言葉は要りません。そのまま思いが歌われています。
幼子の魂もて生きん哉・・・
奥の院 

 白蛇様の奥の院からのパノラマです。だいたい、高原から野尻方面の景観です。昔はこのような欄干はありませんでした。また、白蛇様の岩の隙間は、容易に覗かれないようにしてありました。以前は岩の隙間に白蛇様が現れるのをじーっと待っていたものです。一、二度目にした事がありました。いまは、ながあい休眠にあられるのでしようか。
農業と牛馬の神様。 

 

 奥の院の右隣にある農業と牛馬の神様です。
 説明によれば、豊受神社と馬頭観音とあります。
 実り豊かな国であって貰いたいものです。
竹笹
竹笹が、盛んに茂っており、奥の院まわりの岩肌を守っているかのようです。白蛇様のお護りにふさわしい飾りでもありました。
絶景かな・・・ 

白蛇様の奥の院を護る欄干とその支柱ぶりです。
清水寺の欄干柱とは比べようも無いですが、淵は霞の権現が際立っています。
五右衛門が修験者として霞詣でにあったら、もうちった違った生き方があったかも知れません。もっとも動乱の世にあっては、生身の人間として事に真正面からあたる性格であったでしょうから、どだいぬるま湯は会わなかったかも知れませんが・・・。もちろん、絶景かな絶景かな、にはすこしも遜色ありません。
島津氏が奉献したとされる灯籠。
 島津氏が奉献したとされる灯籠。奥の院の両側に配置されています。
 おそらく、奥の院開設の折、ここに配置換えされたのでしよう。
 文化の年号が刻まれています。
島津氏奉献とされる灯籠
やぶ椿か、山茶花か・・・ 
 
 高崎町側の道路沿いに何本かのやぶ椿か、山茶花の木が花をつけていっぱい咲かしていました。
寒椿ならばと思いながらちょっと眺めてみました。
地際の花の散り具合からみると山茶花のようにみえました。

いまが盛りの花の悲しみです。 
 

 椿でも、山茶花でも同じ仲間ですので、どちらが咲いてもみごとな咲きぶりです。この時期に咲く花木のなかでは、目にしみいる美しさです。
近づいてみますと、思ったより落ち着いた素朴な色合いでした。この雰囲気ですから、やはりお茶にふさわしい山茶花のようです。
帰りの道すがら、後に去る花木のある風景です。 
 

 去り行く花木のある風景です。何の変哲も無い、ありふれた田舎の姿でもあります。
平和な日差しの中に、彼の地では自然の気紛れがありました。
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ぼんち蛙通信12月
白蛇神 霞の権現
                 2004年12月27日(月)