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 まあ あわてなさんな・・・                                盆地蛙通信                                             2009年6月号
   都城    三   山之口   高城   高崎   山田  霧島盆地の仲間達
             こんちは!どげんな 元気な! たまには田舎に帰っきゃん。! 
 このページは、盆地周辺の近況やら、世事等を発信する通信広場です。また、田舎の懐かしいところがありましたら、皆様のご要望にお答えして、蛙ぼんちがそこを訪ね、簡単な報告をする場でもあります。他に知れたくない時には、メール等でお知らせします。
緑の山を広めよう!
既報:04-1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/05-1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/06-1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/1207-1/3/4/5/6/7/8/9/10/11/1208-1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12 /09-1/4/5/7
 通信主旨 現在、わたし達の周りには、多くの情報が流れ、また容易に手に入りますが、よく気をつけていかなければ、その他大勢とし
 て知らずメデイアの提供する情報を鵜呑みにしがちになります。 しかし残念ながら、普通に生活する人々が情報を自ら入手することは困
 難です。 ならば、多くの伝からわたし達が主体的にその背景と真意を探り出し、より真実を知る努力をしていかなければと考えます。 
 そいういう訳で、この通信ページが自由な人の考えのきっかけになればと思います。 
                                                             ぼんち蛙 (2004年1月6日号より)
 
高千穂之峰。現在登山禁止は解除中です。
2009年 6月号
ぼんち蛙通信
カエロかな〜カエルのよそおかな〜
2004年1月4日PM:8:00開店
カエロかな〜カエルのよそうおかな〜
 真の言葉はフェニックスなりフェニックス 日本国憲法  人々にとって、今もこれからも力強い指針であり、普遍の心が息づいています。人の歴史の多くの経験から自ずと生まれたきた言葉があります。言葉が他者を排斥する時代へ後戻りすることは、避けなければなりません。当たり前のいい言葉をどんどん語りましよう。     
                          2009年6月27日(土)AM01:10

             
             敗戦からとっくに還暦がすぎ、戦の痛みも薄れてきたかのごとくにある。
            傷を訴えたくとも、なしのつぶての時の健忘症の前には、ただ無念の思いに
            余儀なく命を見送るだけだ。時の愚かしい熱風に犯された傷はまだ癒されずに
            いたるところに言い難いだんまりを内外に強いている。
            誰に文句を言うでもなし、誰に慰藉を求めることもできずに、胸の奥深く沈潜
            するだけで、できることは眼を閉じることだけだ。 
            人の傲慢な時は、なにも無かったかのように無言の傷を、執拗に、陰湿に
            逆撫でする。
             あったことをなかったと言い張る言説、教え、歴史・社会教科、それらには
            少しもだんまりの傷など見えはしないし、見ようともしない、ナカッタわけだから。
            多くのだんまりは、こうした偏執的言葉の表現に、再三、再四貶められ、精神的
            苦痛をあらためて掘り起こされる。慰藉、精神的損害とはこの人々にこそある。
            異端審問の徒が、それにも懲りずに上前をはねる図式は、まさに言論圧殺の
            熱風にしかすぎぬ。





                          2009年6月25日(木)AM01:30


                近頃の世事は、ずーっと卑近囃しの拍子木にあるようだ。
               まつりの丁半政治の人気は根強い。やるのか否か。
               鼻息だけが先走り、中身などどこにもないツラだけが走る。
               変える・・・変えんといかん・・・
               どうかえるの・・・

                明晰な人が亡くなって半年余り、ますますその人の慧眼を覚える。
               ひとが物事を変えると吐きながら、どう変えるのかには少しも言及
               しない。うつくしい国といってどのようならばそうなのか、その中身など
               はっきりとはしない。ただ、気が浮遊しているだけの正体不明の中身だ。
               情勢が変わったから変える、ではどう変わったかにはまともな答えはない。
               世事の上っ面だけをとらえ、またそうした面しか把握できぬからなおさら、
               言葉がすごろくの厚塗りに変じて踊る。ひとを十把一絡げにしてしまうのだ。
               大衆まつりの行き着くところは、全体主義そのものにある。
               おまけに、巷間放送媒体のギャグぎゃぐ児童遊戯館におぼれる浮薄詣りが、
               世人を目くらませ、強権独裁のてごろな肴となる。
                
                     やるのかやらないのか かえるのかえないのか
                          おはんは なんをかゆっとか 
                              どげんかゆっとよ
       
               


                          2009年6月23日AM01:00


              ひとの良心を愚かな作為で捏造することなど出来はしない。
             国のため、国のため・・なにが国のためであろうか。人が死んで
             しまえばそれっきりだ。この手で命を殺めてしまったことの思いは
             、この一点だけで忘れることはできない。そう人は言われる。
             自決を余儀なくされた異常な環境にあって、それを美しく脚色する事
             など、事実に直面した当事者の底深い苦渋のなかにあっては、あまり
             にも卑劣な時間の作為である。戦陣訓の民衆への触れなど、これが
             強制にあたらなくてなんであろう。しかも教育、地方行政等への国家
             意思の抜かりない統制、統帥権に則った軍部独裁強権が当たり前の
             ごとくあった時代である。情報のかけらさえ、いいように塗り替えられ
             死こそ、国に殉じる至福の道であると強制された悲しむべき時であった。
              本当に過去と真正面から対峙するなら、その言いがたい惨状をもたら
             した国体のありかそのものへの究明が自明の理にあるはずであるが、
             かなしいことには、自国のまつりには少しもその真摯な反省の念が欠如
             している。
             それどころか、尊い人々の命の犠牲によって今日の繁栄があると、ただ
             弔いし、犠牲の原因への問いかけは一切忘れたかのようにそ知らぬ顔
             にあるだけだ。加えて、強制などなかったとする特定政治家・官・民間の
             隠微な、時としてあからさまな歴史歪曲の動きが着々とある。

              法律家が、その本来の役割を全うするのならば、単なる従来の学説
             悪しき判例などに準拠することなく、統治権優先なる偽善を払拭すべき
             時期でもある、有能な哲理に導かれた裁きの頭脳が求められる。
             語弊のあるいいかたになるが、近ごろ送り込まれた外交官あがりの
             人士に望むことは、おのれの生きる理念、命に誠実にあってもらいたい。




                          2009年6月22日(月)PM09:30


          ここ一ヵ月くらい、ウォーキングの速歩から自然にジョギングになってしまった。
         たいして時間的に早くなったわけでものないのだが、それでも1kmあたり約45秒
         強ほど短縮したようである。距離は往復約8Kmだから六分の短縮というわけだ。
         始めのうち、暑い季節をむかえたなかで緩い走りとはいえ、いったいどのくらい今の
         スピードを維持できるのかしらんと自分ながら半信半疑にあった。ところが、息が
         上がるといったこともなく、周りの動きは普通の視線でおぼえ世間の流れも当たり
         まえに感じて走っていた。
          ところがである、きょうの走りはしょうしょうスタミナの言葉を思い出させてくれた。
         きょうの空気の生暖かさは、初めて経験するもので、呼吸においての生あったかさ
         なのだ。息を吸い込めば、もや〜っとする湯気がのどをめぐるのだ。意識的に木立
         に逃れても、そのあったかいぬめりがじっとりとして体全体を包み込む。たまらない。
         一応、持久力まだ衰えずといた自意識で己の体を奮い立たせて、時間的には普段
         とあまり変わらぬ走りでカンソウできた。 
         ちなみに、走った時間帯は、午後一時四十分から二時四十分で、湿度70%強、
         気温29℃強であった。 
         12月とはいえバンコクにおける高橋尚子選手の高温多湿のなかでのマラソン優勝、
         シドニーオリンピックでの勝利など、その凄さを実感した次第である。


          第三者の意見を聞いてから判断しますとの話があった。 ここの一連の経営陣は
         そのむかし初めのころから、舶来マーケテイング用語がお好きにあったが、その本質
         であるところの使命は没却してしまったようである。
         もし、盟主的マーケテイングにその確かさがあるとすれば、それは昔からの商人の基本
         姿勢である消費者志向そのものにあることだ。はっきりとは知らないが、粗利から
         50%ほどの加盟店料が控除されると聞く。無駄を無くすのがなぜ使命に反するのか
         不思議である。しかもそのリスクは加盟店が全額負担するとのことであれば、悪辣で
         もある。


          三割減給を三ヵ月続けて、その金融自由化旗振りリーダーと交わした二束三文の
         経営(むしろ官製談合というべきである)判断の禊を行うとのことである。実に馬鹿げた
         芝居にある。糾すことは、そのダンゴウであり、正すことは潔く身を引くことであろう。
         一口に三割減と簡単にの宣うが、その三割さえ貧困党の我にしてみれば、とんでも
         ない高給にある。まあ、額の大小はとわないとしても、身の処し方には清廉潔白にあれ。





         
         
                         2009年6月20日(土)AM01:10

              言葉の使い方の可笑しい現象が言葉をその本質とするマスメデイアに
             当たり前のごとくにある。早期解散もその一つだ。今の時期における解散など
             機会を逸した解散というべきであろう。色々と言葉を弄して解散したくない党首の
             解散話しなど良識ある人々には、陳腐な言い草にしか聞こえない。
             こうした愚図を早期とかなんとか言ってる伝達機関もその片棒担ぎであろう。
              選挙の準備手続き等のために無駄な費用がどれくらい消費されたのか知らん。
             期日前投票のために、おおくの無駄な時間と費用が消費され、会場使用者の
             予定も何回となく流され、年に一回の大事なささやかな催しさえ中止とならざるを
             得なかった地域も多かったことであろう。
             まつりが優先にあると自認している横柄な政治家の言は、政治家の名を権力と
             錯覚誤認しておる都会の或いは田舎の感性の鈍化したおじさんだけだ。
             この期に及んで、支持率云々と言ってる輩の思考過程が思いやられる。

              
              英国の首相が、ビルマの惨憺たる現状を告発していた(朝日新聞:19日付より)
             かっての大英帝国植民地主義の人の言葉などとは思わない。
             真実に人権が蹂躙されている事実に対しての非難である。そう考えたい。
             自国の盟主が、核兵器の廃絶を訴えた念と同質のものであろう。
             こうした場面をみて、多くの国々のリーダーが人の権利を抹殺する現象へ
             真実にノンの声を厳しくあげてもらいたい。自国のリーダーなどあからさまな
             怒りの言葉さえ出すこを控えている。情けなきことである。
             近くの大国が、こうした場面にあっては、かっての自国の帝国主義の誤謬を
             踏襲しているのは、文明の発祥の地の一つとして、豊かな文化を育んだ一つ
             の地として愚かな政策である。言葉の自由なきところの進展には限度がある。
             ひとの生まれながらの権利に対する封殺への非難は、内政干渉などでは
             決してない。人間があってこそのクニである。


             

             
                         2009年6月18日(木)AM01:10


                                 異端審問


             この集団は、どの面々見てもその輩が非難する純粋偏向の徒にあるらしい。
            しかも自国大臣経験者の集まりをその主体とするだけに余計その熱があくどい。
            やらせタウンミーテイングの張本人達が、相も変わらず連中の祈願する国体の実現
            に向けて躍起となっている姿は、特定心霊世界シュウキョウ的団体、カガク的団体の
            姿に二重写しだ。 
            いもがらぼっとがその座長というから恐るべき虚勢の徒にもあるようだ。
            こうした輩は、言論の自由など考えたこともないようで、それを一考だにしない。
            その信条に反することは、一切誤れる現象と捉えることにその特徴がある。

             公正とは、人にとってなにがより生まれながらの自由・権利にそっているかによって
            判断されることだ。

             危惧すれば、このところの一連の矛の送りつけともその基部で関連することである。

             言葉、ペンは人が命に対して誠実・謙虚にある時には決して滅びはしない、
            



2009年6月15日(月)AM03:20


別におどろくべきことでもないのであろうが、あと十四経て命あれば八十に
なるのだから不思議なようなそうたいしたことでもないような時が心をめぐる。
ひとめぐり違う女優さんの話を耳にしながらおのれの未熟さをあらためて覚える。
別に未熟の言葉にかしこまった内省の意があるわけでもない。過ぎた時間に
対するいっぱいの時があったのかといったおのれの薄い時間に対してだ。
痛みを己のものとするにはまだ時は足らないのかしらんと思えたからだ。
頭、幼き記憶にははっきりと記されていると思っていたのが、実際は周りの
話しのうろ覚えが幼き経験を形作っていたのかしらと思えてきたのだ。
朝鮮戦争が始まったのは、ちょうど小学校二年生の時で、生還できた父と
雨の中でラジオ方送を聴いていたときの臨時放送だった。ああ、またかと途切れた
父の言い草が思い出される。  それからしばらくして観たのがひめゆりの塔だった。
象徴化された乙女の不条理な時間に生きた命の取り返しのつかぬ時代の誤り
は依然として自国では真正面から語られることがない。過誤と正直に対峙すること
ができない自国の不誠実さだ。 昨年亡くなった羊の人が指摘されていたように、
あなたのお隣のあの好々爺がある時期には、惨い殺しの当事者であったという場面
はすっかり忘れられたかのように、或いは黙ったまま見過ごす手前流の偽善が普通に
あることだ。  今夜の女優さんの話は、物事と誠実に向き合う人の話しであった。



このことを送信していたら、例のやっせんぼが、官製民間業の背任行為を正当
とばかり、矛をむきだし隠れて吼えていたと伝があった。裏でしか言葉を弄する
ことのできぬ哀れな人士である。特殊組織からの庇護があればこそであろう。





                        2009年6月12(金)PM10:20


             近頃は、矛盾とはたんなる修辞の一つになったようである。

             一つ 
            環境保護のため地球温暖化を緩める方策のなかで、例のごとく
            その最大の元凶である戦争、特殊命題との闘いなどへの言及は
            一言もない。人殺し兵器に使われる各鉱物資源の浪費、その日常
            訓練に使用される銃弾、砲弾、エネルギー資源の無駄な確実莫大
            な消費、費用の放蕩。 戦の覚悟を持てと何とか、いよいよその本性
            をあからさまに示すその言葉の裏腹である。
            温暖化防止はこの地を食い荒らす、資源を枯渇させる最大の因への考慮
            なくして、すこしもその歩みを止めることはない。
            舌の乾かぬ内に、宇宙飛行士の観たちっぽけな愛しい宇宙船地球号の
            美しさをかざし、環境保全を訴えるなど、まさに自家撞着そのものである。
            本当に愛おしく美しく感じるのなら、数字目標などより(示すのなら京都を
            基準とすることだ)この地から愚かな戦を無くすメッセージを自国から率先
            して世界へ堂々とはっきりと宣言し世界外交をリードしていくことだ。 
            しかし、この創造性の退化した人士等にはとても無理な役である。せめて、
            盟主トップのごとく世界に少なからぬ希望を射す言葉と行動力があればと
            想うのだが、考えるほど空しくなる。

             二つ
            道理とは道理はずれの意となった話し。
            自国金融資本を、ほしいままに金融褌担ぎに蹂躙された民営化騒動の
            なんともお粗末な結末になったことか。民営化旗印のトップにあった委員の
            グループ企業へ、国民資産を二束三文で叩き売りした官製民間業のお笑い
            以下の顛末である。普通の頭があれば、可笑しなとこはどこか直ぐに分か
            る茶番であった。さらに金融専門家らしい政治家の言にいたっては、あいた
            口が塞がらぬ。
            
             三つ
            宗教・倫理・政治と国体護持の結びつきは、いまに始まった事新しいこと
            でもないが、このところ妙な論理と、とても世界の人々には理解できぬ
            人の歴史の流れに対する偏狭或いはオカルト的独善が跋扈している。
            心霊商売の道から大主教さまの唱える救世祝詞への道こそ、魂が昇華
            する正しき律にあるらしい。 
            それら科学的律によれば、あった歴史もなかったことにすらなるようである。
            例えば、ある大虐殺、事件などはなかった、ある条は基本法違反だそうだ。
            昨今のこの種の走りが、お隣の動乱をきっかけに蠢き始めたせいだろう、
            このての教主と自国の甦った戦前官僚とのつながり、特殊だんたいとの
            密接な関係等がいまも姿をかえ、面をかえ、まつりびと、ロンダン人、文化
            人等を囲いながら隠然と続いている。よくよく眺めればおや、ははなるほど
            と思える政治家、文言人士が浮き彫りになってくる。
            

            一つ、二つ、三つとせ、四つとせ
            言わずもがな待望のカミノみちへの律にある。




                        2009年6月6日(土)PM03:45


              をむなもすなる物語というものを、をとこもしてみんとてするなり。

            をむな語りをいうに、をのれをわしといいはべる。さすれば、わしとは女々しい

            ことの言い草なれや。また、をむないうにはべけるに、ごうまんとは、いくじなき

            をのこのことと云う。 つまるところ、からいばりとあかすなり。

            さても、ひがなしつれづれなるままに硯にむかいて、をむな語りとなすも、いと

            むずかしきことなり。


             わしが物心付きしころ、聞こえし益荒男は、それはたおやかな、やんごとなき

            をのこでありました・・・・・・

             

  やまと 
                                      2005年アンソロジー
  
                 
                 2005年2月11日(金)
  ジンム      

         戦いの思いは 新しい戦で消され 血の色だけが同じ記憶にあった
         敵の屍は 鬨の声のなかで腐りはて 葬るのは獣だけであった
         だが もうわたしは力の衰えをおぼえる
         戦いは終わる気配も見せず 蛮族はわが土地をなおも狙っている
         わが族がこの地に 狩猟の豊かさをもとめてから 時の姿は幾度となく変わった
         いまでは 祖先が与えた 穀物の種がようやく稔り 収穫さえできる だが
         豊かさは 争いの芽さえ 育んでしまった 

         わが息子ジンム お前の兄達は すでに戦いの骸と化し 陽のかげりは残りすくない
         周りには 熊襲族 隼人族が この豊かな地を窺っている
         おもいだせば わが部族も同じ族であった いまでこそ獲物は少なくなったが
         この地にたどり着いたときには 矢を放てば 飛ぶ鳥は必ず落ちた
         槍は いつもしっかりと 獣を突きさし 石斧は 獣の頭を打ち砕いた
         そうしたおり ふるさとの民が大事に携えてきた 穀物の種を おそるおそる蒔いた
         おお かみさま感謝します 穀物はわが族を流浪から開放してくれた だが

         あなたの息子ジンムは けっしてこの豊かな地を かの族には与えません
         いや 彼等がこの地と共存できるよう この手で諌めてみせます 
         戦いを望むなら けっして 屍がここそこに血でそまることなど 厭いません
         同じふるさとの族です この地を 彼らと一緒に 大いなる土地といたしましょう
       
         わたしは おびただしい血と骸しか残さなかった だが豊かな土地と部族の種は残った
         長い時は 部族の憎しみを消し去り 熊襲、隼人族も わが土地に学び従った
         しばらくは わが土地は平安に時が流れ 豊かな穀物と生き物の獲物で潤った
         憎むべきは 人々の嫉妬と侵奪の野心である 豊穣の稔りは長くは続かなかった 
         父の教えの通り 豊かさは 争いの芽を すでに各地にここそこに養っていた
         おおきな土地になっていたわが部族は 侵奪される前に 各地の野心を諌めることで一致した
        
         方角は 東であった わが部族は険しい荒地を道として 嫉妬に燃える部族を諌め 殺し
         それを同じ部族となし さらにわが地を窺う族を蹴散らして 東へ東へと 進んだ
         東征の一隊は 船で侵奪の畏れのある土地へも渡らせた
         幸いに わが豊かな土地の仕組みと諌めの話に蛮族は納得し 矛を反対の東へ向けてくれた
         しかし 惨たらしい屍を 獣の餌食に残さなければならなかった部族も数知れぬ
         ジンムのわたしは そのとき おのれが 侵奪の野心にあることなど少しも気づかなかった
         ただ わが豊穣の稔りを この地に実現せんとする熱情しかおぼえなかった
       
         ふるさとを立って どのくらいの陽と影が移ろい過ぎたのであろうか
         われに従う兵士は その数知れず 最早あの地へは戻れぬことを直感した
         わがこころは なを あの美しく映える緑の高千穂と 身近に聞こえる野鳥の鳴き声 獣の嘆き
         その想いが目を閉じれば いっそう迫ってくる そして はるかなるわが祖先の陸・海の人々も
         ああ あの山の頂へ幾度登ったことであったか われにはいつも優しい火の迎えであった
         もう 思うまい いまは 統一の時へ向わねばならぬ 矛に変えて鍬をもたねばならぬ

        
                
2005年2月13日(日)  秩序

        阿礼は、読み込むほどに人々の夢が入り混じり、いまでは信じられぬ出来事が、目の前に
       実際あったのだとさえ、心から思えてくるのであった。
        史料は、幾度と無く開かれたが、その都度、新鮮な発見に会うのだ。いまから思えば、
       こうした細やかな情愛につつまれた事があり得たのだろうか、しかも、あの激しい戦いの
       中でだ。歌の言葉が、わたしの耳に心地よく流れてくる。人を慕う思いは、はるか古の人とて
       同じことなのだ。だが、この事跡は真であろうか。おそらくまつり事での興を、盛り上げるため
       の、天竺の伝えを翻案してのものではなかろうか。定かなことは、わからない。
        阿礼は、ただ読み、しょうするの身である。なにを、不確かなことに思い煩うことがあろう。
       しかも、古事といえども、その形には、かの国の話し言葉で記されている。この系譜にしても、
       かの史書の記述に倣ったような書式にある。だが、なんと面白い物語のあることか。古の僕も
       どんなにか、苦しさを笑みに紛らして記したことであろう。おそらく記しに、己の姿さえも書き記
       したのでは、と阿礼はしみじみと思った。
        改新の令も、すっかり身になれてきた。いまでは、あの威張った氏族も、静かなものだ。
       だが、その心底は計り知れぬところに、帝のお悩みもおありのことだ。まして、天竺の経の
       伝播は既に多くの民に受けいられ、その勢いは、氏族さえも圧倒するほどだ。その教えは、
       氏族のみならず、朝廷の方々にさえも、危惧の声が聞かれるこの頃である。かしこくも、太子
       が、その慈しみの御心で信心された、初めの教化は、いまでは、氏族の体制さえも揺るがす
       かのごとき勢いであり、その惧れとともに、改新によって権力をそがれた氏族の確執の痛みが、
       大和の地はおろか、各地に広がる様相である。加えて、西国熊襲、隼人、さらに東の蝦夷
       などの蛮族が、防人の館を打ち壊したとの声がひっきりなしに、伝えられている。
        そうしたおり、突然、面前に呼び出され、いつのことからか、保管されていた、紀・辞を、
       よく読み、しょうする、ことを命じられたのであった。荷の重いことと弁えもせずに、直のお目
       通しに、いたく家族ともども喜んで拝顔したのであった。話は心して承っていたのだが、その
       内容を聞くにつけ、この身には、とても無理なことと思えた。しかも、命じられた史の大筋の基を
       、逸らしてならぬとの言葉に、おのれの命は無くなったとさえ覚えたことであった。
        だが、はるかなる、わが祖先がお供した帝の古事である。しかも、ようやく平安の兆しが見えて
       きたこのごろである。だが、一方では、謀反の動きが、あからさまに、各地に見えておる。
        やまとの平安、安泰のために、かならず紀・辞を読み下し、はるか古さとの夢に報わん。

        



               2005年2月15日(火) 実証       

        ふるきを謂うに、詳らかにするも、反証するも、その基、定かならざれば、同じことなり。
       さすれば、己が謂うも、まことの証にあらずや。しかして、そは、実証とは謂わずや。
       すでに、再度の改めなるも、まつりの緩みは止まりもせず、人心の乱れは、これ極まれり。
       これ、ひとえに、異学を許し、臣民の道を逸するの、まつりにあり。主従の道の誤りなり。
       すべからく、王道の学びの基は、わが古にあり。敷島のこころは、なを、あわれなり。
       自然と己は一つなり。東雲にのぞめる光こそ、大和の礎なり。まつりの基なり。
        このところ、黄表紙なる戯作物が、邪まな、人民をたぶらかす有り様と、耳にする。
       よくよく、いにしえの心を伝えることが急がれる。緩みは、臣民の道に反することである。
       まして、まつりの主従の退廃あれば、大和の国の衰退と成り行く。
       けだし王政復古の姿こそ、真の道である。
        
        帝紀なれ、旧辞なれ、いまとなりては、その記し見るにあたわず。
       その滅失の原因、探すことは真なれど、その因を求めて、邪推するは、将に、自然を
       信ぜざるが如し。まして、阿礼の生滅不確かなるを、紀・辞の記しの虚構となすは、
       あに、もののあわれをおぼえるにはあらず。やまとは、自然なる、まほろばの地なり。
        われは、ひたすら、古事の記しを、詞として見、その一文字、一文字に、古のこころを
       、いまにあらわし、言霊の真を証すのみ。



               2005年2月16日(水)  まこと         

        どうもこうもありやしない。
       なにがここまで、物事を長びかし、引っ張ってきたのかね。
       なにが一体、問題だったのか、分かりきったことじゃないのかね。
       そうだろう君。ああ、きみもそう思うかい。当たり前だ。
       国力を戻し、改めて伸ばすにしても、その基の宝を育むにしても、
       すべては、この問題を、解決しなければ、すこしも動き出さないのだぜ。
       だが、いまその解決の兆しがみえ始めている。
       さいわい、出動も、あまりそう問題にされることもなくなってきた。
       事実の積み重ね、これは大事なことだ。人々の慣れが、慣行にまでなればしめたものだ。
       どうして、国を守ることが、おかしなことなのかね・・あの連中。どうかしておる。
       国のために尽くすことは、公の利益につくすことになるのだがね。まったく。
       教え方が悪いから、こうした犯罪の多発につながっていることだ。教育指針が間違っておる。
       かの、徳目に順じてこその、国民の道徳の確立、道義の国として再生が可能だ。
       もともと、自国は単一民族国家である。その要が、かしこくもあられる方である。
       わが遠い国の成り立ちに戻り、自国の伝統、精神の復興こそ、いま将に必要となっている。
       皇運を扶翼することこそ、いにしえにつながる先祖の道を生かすことになるのだ。
       それこそが、本来の伝統に基ずく独立国家としてのわが国の真のすがたである。
       少し、神の国などといえば、やれ偏向マスコミの連中は、ヤギの如くまとわりつく。
       言論の自由があらばこそだ。
       自国の本来の国体を、正直に言うのが間違いとでも思っているようだ。
       連中も、心配しなくともいいものを。まったく。どんなことを謂われても、言論の自由は守るさ。
       改ざん前の大日本帝国憲法でも、しっかりと言論の自由は守られていたのだ。
       第二十九条で、法律の範囲内で、言論の自由等はしっかりと守られていたのだ。
       それも知らぬ輩であるようだ。今回も、そうした案にして、自由を守るようにしてある。

        どうして、自国の基を記した記紀の心となって、本来の自国となり、世界貢献するのが、
       戦を仕掛けることとつながると思っているのか、不思議である。
       先の人を尊び、その徳にまなび、慎ましやかに、世に出でて仕事し、国の発展につくすのは、
       当たり前の、いずれの国にも通用する教えではないか。
       一旦、事有らば、わが尽きることなき皇運を扶翼することは、万国も認める、ごく普通のことだ。
       古来より、自国は、万世一系のたおやかな風土にありて、元来戦など好まぬ民である。
       それを、マスコミともども、偏向教育が台無しにしてしまった。
       これこそ、早急に正すべき重大、かつ喫緊の事柄である。それには、もとより、かの盟主に
       押し付けられた、外来法の改変がなによりの基になる。
       盟主は、自国の真の世界貢献のためなら、その改変は自由であり、それこそ民主主義の
       発展になると、暗黙知にあって、むしろ賛同の声が強く聞こえる。
       この悠久の、単一民族国家を脅かす、大国の軍備増強、弾道兵器の脅威に対して、しっかと
       対処するためにも、自国防衛の充実策には、盟主国も喜んでくれている。

        新しい、地域共同体のためには、かってのいい面もあった、共栄圏の意思をいかして、
       自国は、翼を広げていくことである。
       そのためには、過去の誤った、自虐的歴史認識をただし、自国の過去の進出が、その地域の
       発展の基となったことも、明らかにして、子供達が、堂々と、自国利益のために世界へ貢献
       していくように道の型を取ってやることだ。
       世界貢献とは、世のため、人のため、緊急のときには、自己犠牲もいとわない精神である。
       自国の基本精神、あの忠臣のこころこそ、博愛精神のあらわれである。貢献の意思である。
           
         あつ・・外れかい。また、ダブルボギーだぜ。きみ。きみのいったとおりパットしたのだぜ。




                        2009年6月2日(火)AM08:45 2号

            予想されていたことだが、スーチーさんが有罪とされるようだ。
           相も変らぬ傲慢な軍事王朝であることか。
           たった一人のかよわい人格に対する再三再四にわたる陵辱である。
           軍部独裁政権が、いかに民衆の支持を得ていないか自らあらためて示している。
           人の声は小さいけれど、人権を蔑ろにする力へは大いに非難の声をしめし、
           世の人々が女史を精神的にささえていることを独裁権力に教えることだ。
           こえた豚は歴史におおいに記されるだろう。そのあくどさにおいてだ。
           


                        2009年6月2日(火)AM00:50

            本音が隠れ、嘘が表れ、それが本当のことだと信じきることがまつり人の
           特徴のようである。盗人猛々しいという穏やかな言葉では終始のつかぬ
           まことしとやかさにある。経済底上げには、民意など問う暇なんかないそうだ。
           その舌の乾かぬうちに、独裁強権政治が大手を振って罷り通る。
           大事な事柄が民意と関係なく法律として強行され、しかも事後法によって行動
           する不思議な民主主義に名を借りた多数横暴強権主義政治があれよあれよと
           笑談まがいにのさばる。ましなシテなどありやしない。さえないワキどもだ。
           あるのは真面目腐った厚顔踊りのみ。キツネ踊りに混じるヒョ・・・コ踊りかな。
           
            それにしても、司法権力のあからさまな三権分立をかなぐり捨てた茶番劇が
           堂々とあったようだ。なにも司法に限らず、ちかい過去に放送媒体の権力に鳴き
           撫で声で寄り添う動きもあった。放送解説者が、外務関係の報道官となり果て、
           なにも痛みを覚えぬそ知らぬ風に穏やかな眼差しにあった。

            一つの流れは、ばらばらな様でも、まつりの通奏低音はしっかりと方向性を
           もった行動にまい進しておる。法解釈のあからさまな済し崩しのおぞましさ。
           気をつけなければ、まつりの横柄さは止まる様子はさらさらない。
           いまの外交の基部はいわずもながの流れにある。
           その外交官僚上がりを裁きの頂点に置くことの意味をよくよく考えなけねばならぬ。
           過去の事実を真正面から見ようとしないことさえ、普通となり、統帥権のあったこと
           さえ健忘症と頬被る行政そして司法現場である。強制の言葉をよく思い出すことだ。
           なぜ、いま強制はなかったと言い張る流れにあるのかを。