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門

いつも歩いているのだが、いまだにしっくりしない門である。
                          2009年1月25日(日)



門がどうしてあるのだろう、といつも思いながら潜り抜けている。
手前の橋の欄干は、工事によって無くなった川の記念物である。
周りの景観とあわぬ造形は、自国の特徴でもある。もっとも
この通りには学校があるので、門があるのかも知れない。
汝狭き門よりいたれ さすれば真に達するであろう・・・

*門はかって高木原水道にあった門です。
散歩道が、昔は灌漑用水道にあったわけでです。



円卓でゆるりと休憩をとり、とことん意思を通じ合え
ば、すこしは明かりがさすのだが、現実という怯懦は
せっかちだ。武を理と取り違える愚かさだ。
八幡船にも一理ある・・・



三人寄れば文殊の知恵、と舗道に記されている。
三つのセメント造りの坐場だ。
いまのまつりは多人数寄っても、一向に、
人にとっていい知恵を生み出すどころか
血を強いる愚者の吐く息のみだ。


カラー舗石が斜面やらで、歩道を色づける。
夜歩くときには、注意が必要だ。



底冷えのする舗石に束の間、陽が和む。



石が横たわっている。何の象徴あるいは抽象であろうか。
本来、水を溜めてある中にある造形物だ。西洋の伝統的
形式美にある庭園の池をイメージしたものかも知れぬ。



一方の側からみたものだ。中央の穴は、なにかある中心を示すのかしら。
円が五個重なっている形だ。自由な輪が幾重にも重なり合う。
抽象美は、人それぞれにいろいろな思いを語りかける。
自由といえば、近頃本で知ったのだが、
自ら自由と号した人がいたそうだ。
江戸時代の和算家、関考和だ。円は無限自在にある。


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